「この世界の片隅に」について思うこと

 実はブログを始めようと思ったきっかけは『この世界の片隅に』を見たからでした。天邪鬼だっていうのもあるけどどうにも「この世界」が絶賛されてるSNSの風潮が嫌で、ツイッターで長文ツイート連投しようかとも思ったけどフォロワーの迷惑にしかならないからやめて、でもどうしてもモヤモヤを外に出したくて大学のレポートのテーマにしたりもしました。でもレポートだと好き放題書けないし、ブログが一番言いたいことを書けるのかな、と。フィルマークスでも見た直後くらいにレビュー書いてるんだけどそこからさらにいろいろ考えたので、この記事が僕の『この世界の片隅に』総評最終稿になるつもりで。

 

と言ったものの、めちゃくちゃ長くなるんだけどまずはフィルマークスのレビューとレポートを読んでほしいです。書きたいことの9割くらいは書けてるかな。

filmarks.com

レポートはまじで長いです。でも好きでも嫌いでも『この世界の片隅に』に関心あってこの記事を見つけた人は読んでほしい。

 

 

 

 

つまりレビューとレポートの映画に対しての不満を超凝縮して一点にまとめると、何故リンのエピソード削ったのか、ということ。最初っから長尺版作れよ。

 漫画の『この世界の片隅に』は素晴らしく完成度が高い。物語としても、漫画という表現方法においても、そしてこうの史代という作家にとっても。それをああいう味付けに変えてしまうのはいかがなものかなと思います。

といっても、映画「この世界」も非常にクオリティの高い作品なので、作品自体に対する不満はそんなに強いものではないです。俺が一番愚痴りたいのは観客の反応。

 

 

以下愚痴が延々と続きます。大方の感想はレビューとレポートに集約されてるのでこっからは読んでも読まなくてもいいです。でも共感してくれる人がいたらコメント欲しいです。

 

まず、過剰に持ち上げすぎでしょう。なんかもうお祭りみたい。もう1年以上上映されてるみたいだけど、上映日数が延びるたびにいちいちツイートする人とか。 人のやってることにとやかくいうのはナンセンスですが、「次は◯◯で上映決定! 僕も見に行きます!30回目!」みたいなやつです。けものフレンズとかポプテピピックとか羽生結弦とか、流行ってるものに乗っかって騒いどけばいいやみたいな人が多くてほんと辟易します。『君の名は』と『シン・ゴジラ』の頃からその傾向が顕著になってきたと思うんですが、直近で言うとグレイテストショーマンとか。流行ってるものを追っているだけで、どうせ3ヶ月後にはその話題忘れてるだろうに、大絶賛したり見なくちゃダメって押し付けてきたり。

個人的にツイッターってニコ動と2ちゃんのハイブリッドみたいな存在になってきてると思います。だからニコ動のコメントとか2ちゃんスレで起こってた内輪ノリのお祭り騒ぎみたいなのがツイッターっていう公共性の高いツールで横行し始めているんじゃないでしょうか。

 

もちろん本当に『この世界』その他諸作品に心打たれて、座右の作品になりましたっていう人もいると思うんですが、見た人全員がそうなることは絶対にありえません。「感情の整理がつかない」とか「わけも分からず涙が溢れてくる」とかツイートしときながらアイコンは他作品の推しキャラクターとか。薄っぺらい言葉だなと思います。「感情の整理がつかない」「言葉にできない」っていう感想は個人的には「一生のお願い」レベルの最上級の賛辞だと思うんだけどなぁ。お前らは一生のお願いを乱発する小学生か? 

自分は映画だと『ショーシャンクの空に』、アニメは『CLANNAD』と『 ARIA』がベストの作品なんですが、この三作を見たから、一生アニメと映画を見続けようって思うようになったし、それぐらい自分にとって大事な、ターニングポイントになった作品たちです。すごい個人的な話になるけど、ゲームだとFFⅦCC。それまでは任天堂とかポケモンとかみんなもやってるゲームばかりやってたけど、はじめてPSPのゲームで、同梱版の特別デザインのものを買ってもらって、FFもはじめてで、ガキだったから難しくてクリアできなくて。しばらくしてクリアして、調べてみたらFFⅦが元の作品で、なんと発売年が自分の誕生年で(ちなみに誕生日はプレステの日なんです)。FFⅦもやってすごく面白くて。めっちゃ赤裸々に書いてますがそれくらい思い入れがあって自分と切っても切り離せない作品にこそ、「言葉にできない」とか「最高の作品」っていう賛辞を贈りたいんです。まぁ人間は変わるものだから、別に意見とか思考とか性格とか変わってもいいとは思いますが、あまりに手の平をころころ返すのもどうかと思います。すごい人気だから、評論家も褒めてるからみたいなので安易に作品を称揚するのはどうなんだろう。

また少し脱線するけど、最近はなんかアンチは無視しろとか褒める声だけ聞いとけとか、理解できない人は一生理解できないから放置しましょうみたいな声がツイッターで大きくなってると思う。一般人の生活においても、クリエイターの創作活動においても。その流れを受けて、クリエイターは褒めましょう、お金をあげましょう、おんぶにだっこしましょうみたいな雰囲気。正しい部分はあるけれど、たしかに単なる誹謗中傷は確かに害でしかないかもしれないけど、ダメ出しとか叱ってくれる声すらも一緒に排除する勢いの今の流れは本当に好きじゃないです。マイナスの意見から得られるものもあるはずなのに。ラクして生きよう、嫌なことからは逃げればいいみたいな意見が多くて、鬱とか精神病、会社のストレスと関連させてストレスフリーが一番!っていうノリ。ストレスは嫌だしラクしたいけど、勇気と無謀が別であるように、逃避と回避も違うと思うんです。現実逃避しても何の成長もない。苦しいこと辛いこともあるけどそれを乗り越えることだって時には必要なはずでしょう。

 

ちょっと「この世界」から離れてきたので話を戻します。

半分怒りとか嫉妬みたいな面もあるけど、歴代何位のロングラン上映とか、俺個人としてはそこまでの傑作だっただろうか、っていう疑問が残ります。もっと他にも素晴らしい、上映される作品だってあるのに。ほんとにすごくバイアスかかった見方だと自覚はしてるんですが、片渕須直もなんか天狗になってる節があるような。自分も中高時代に文芸部に所属して下手な小説を書いてましたが、自信満々で作品を提出できたことなんてなかったです。いまじゃ恥ずかしい黒歴史だけど、一時期どうにも作品が書けなくて書きたくなくてスランプみたいな状態にもなりました。その時、部の先輩がとりあえず周りは気にせず好きなように書いてみればいいよって言ってくれてまた書けるようになったんだけど、向上心とか自己肯定感とかそういう問題から自分の作品って手放しに褒められないと思う(んだけどクリエイターの方はどうでしょうか?)。でも片渕須直は自信満々で素晴らしい作品ですって言ってるような感じで、今までの戦争描写はここがいけません、僕は徹底的に調べてかつてないほど忠実に作りました、っていうような。自信のない作品を他人に見せるなよって言われるかもしんないけど、俺はここまで(ツイッターで毎日エゴサしてRTするくらい)自信満々になれる監督が理解できないです。

 

一周回って、『この世界』をべた褒めする人たち。正直、レポートを書くにあたって映画及び漫画の『この世界の片隅に』についてはかなり調べたと思います(これは不思議と自信あるんですが、片渕須直監督もこんな気持ちなのかな?)。 一回二回見た程度の『この世界の片隅に』ファンよりは作品について深く理解をしたつもりではいます。だから、一回見て泣いたくらいで「映画史上最高の作品」みたいに褒めてる人は本当に理解できない。別にいちいち作品について詳しく調べろなんて思わないけど、上っ面の感動を誇大するのは良くないと思う。しかもみんな似たような意見で面白味もなんにもない。

 

 

思ったことはこんな感じです。いい大人なんだし、もうちょっと落ち着いて自分なりの意見を持とうよってことです。

胸のつかえが取れた感じです。すっきりしました。読んでくれた人ありがとうございます。