アニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」における原作改変

前記事からしばらく期間があいてしまいました。テーマは見出しの通り「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のアニメ版についてです。原作含めたネタバレがあるので未視聴の方は閲覧注意。

 

 

僕が初めて「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を知ったのは2年前くらいに公開された制作決定報告的な動画からでした。

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ほんと最高のCMだと思います。京アニ信者であることもあってこれ見て一発で惹き込まれたんですが、そっからずっと情報を追いかけていて、昨年京アニ本社を見に行ったとき、ついでに京アニショップで原作本も買って読んでました。

原作に関しては、ヴァイオレットの生い立ちとラストの展開以外には大きな不満もなく、むしろPVで期待していたとおりの優しくて美しい物語だった印象。それに対してアニメの方は微妙な感じ。正直言うと期待していた分、少し残念だった。以下不満点です。

 

 

まず、プロット構成と視点。

シリーズ構成の吉田玲子さんには過去の業績(ARIAとかのんのんびよりとかけいおん!猫の恩返し、ルーのうたなどなど)から期待していたんですが、今回はイマイチだったと思います。アニメは時系列になっているんですが、原作は割とぐちゃぐちゃなんですよね。でもそのぐちゃぐちゃの時系列も実は意味があって、そもそも原作だと世界各地にいる依頼主のところへヴァイオレットが訪れて、そこで各依頼主の視点から物語が進行して人物が描かれていく群像劇的なつくりになっている。まるで人形のようで、すこしミステリアスな超絶美女の自動手記人形が、時系列関係なく他人の言葉で語られていくっていうのが、どこか伝記っぽくて噂話っぽくて、世界各地を渡り歩くっていう設定にもよく合っていたと思うんです。「知ってるか? ”ヴァイオレット・エヴァーガーデン”っていう伝説の自動手記人形がいるらしいぜ」みたいな。実際には原作でも「伝説」とかは言われてませんが。それが主人公の名前のみっていうシンプルなブックタイトルにもマッチしてて、とても良い雰囲気を出していた。あと、各依頼主の言葉で描かれるっていうのがどことなく手紙めいているのもテーマに即していて良かった。

アニメ版は時系列順であることに加えて、ヴァイオレットの一人称視点になっている。アニメ1クールで構成するにはその方が都合よくて感情移入しやすいのかもしれないけど、個人的には原作のつくりを大切にしてほしかったかな。なによりCMで抱いた第一印象に近かったのは原作でした。

 

 

一人称視点になると同時に発生した問題が、ヴァイオレットの性格改変。

原作だとヴァイオレットは、他者視点で描かれることも相まってもっと寡黙で、知的で、大人びていて、謎に包まれた女性だったイメージ。たぶん年齢書かれてなかったと思うんですが、勝手に17,8くらいかと想像してたくらいです。まあ軽く読み返してみたらそんなことなくてアニメ通りの14,5歳くらいが妥当な線だったんですが、それくらい物静かで謎めいた印象がありました。

打って変わってアニメの方は完全に少女って感じです。まだ世界を知らない少女が葛藤する物語みたいな。原作では”人形”っぽさが強調されて、すごく冷たいけれど接していると何故か癒やされる女性として描かれているんですが、アニメだとどこにでもいそうな直情的で素直な女の子になってしまっていたのが非常に残念。おおげさに例えると綾波的キャラクターからアスカ的キャラに、長門的キャラからハルヒ的キャラになっていた。これは後述する声優問題もあるんですが、原作のヴァイオレットのイメージはあんなに少女的じゃなかった感じでした。

それを強調するエピソードが10話のアンの話(原作「少女と自動手記人形」)で、原作だと依頼を終えた後ヴァイオレットが泣く描写はないんです。それは決してヴァイオレットに感情がないとかそういう意味ではなくて、アニメと同じくアンのことはすごく気にかけているんだけど、それで同僚の前で涙を見せるような女性ではないのが原作でのヴァイオレット。しかも原作だとアン視点で描かれてるから、お母さんに相手にしてもらえない寂しさとか、成長とともに送られてくる手紙に対する思いに感情移入しやすくなっている。たぶんアニメでヴァイオレットが泣いたのは、感情を理解していく過程を描く意味と、その回においての泣きどころ(盛り上げどころ)のふたつの意味があると思いますが、わざわざ泣くショットを追加するくらいなら原作通りの描き方をするほうが個人的には良かったです。ぶっちゃけ話数後半ヴァイオレット泣きすぎですし。

少し構成の話に戻りますが、原作は基本的に依頼主のその後まで各視点で描かれてて、その後の部分で少しヴァイオレットについても触れているのがすごくグッときます。アンの場合は、母親になった頃の誕生日、毎年手紙を届けてくれるポストマンにアンが「ヴァイオレット・エヴァーガーデンは知ってる?」とたずねて、「ええ、有名ですよ。今も現役ですからね」とポストマンが返すやりとりが結びにあるんですが、それがすごく物語の雰囲気を形作っている。たしかに、原作版の感情表現の下手な人形みたいなやつがまともな手紙を書けるのか、と言われたら返答に窮しますし、アニメみたいにだんだん感情を理解してそれに連れて仕事も増えていく方が自然ではあるんですが。

7話のオスカーの話(原作「小説家と自動手記人形」)もヴァイオレットの性格に違和感を感じました。アニメだと戯曲に対してヴァイオレットが「続き聞きたい!」みたいな無邪気さを出してるんですが、そういうタイプじゃないと思うんです。他にもあの回には細かいところに不満点があって、湖のシーンですがあそこは原作だとオスカーがヴァイオレットを着替えさせていつもと違う服で挿絵が入るんですが、それがめっちゃかわいいんです。それに、アニメだと傘開いてから走ってるけどあれ抵抗すごくて走りづらくないですか。原作は飛んでから開いてたので違和感がありました。ちなみにキャラデザのことについても後述します。

話があっちこっちいってますが、つまりはヴァイオレットはもっと原作寄りの性格でいてほしかったってことです。もうひとつ性格の違いを表してるエピソードを挙げておくならば、11話(原作「青年と自動手記人形」)でヴァイオレットが戦地に赴く展開においてですが、アニメだとザ主人公!って感じで熱く配達屋を説得してるんですが、原作だとエイデン視点で死にかけのところにいきなり降って救出して、エイデンが「なんでここにいるってわかったんだ?」って聞くと「企業秘密です」って答えるんですよ。原作のほうがミステリアスでかわいくないですか?

 

 

次にその他細かな原作改変について。

まずカトレアとベネディクト。ベネディクトはあんま変わってないかなって気もしますが、カトレアとか誰やねんって感じです。原作者の暁佳奈は下巻カバー折返しの作者コメントで「人物の名前は何かしら意味があります。」と書いています。カトレアの花言葉は「魅惑的」、「成熟した大人の魅力」で、どちらかと言うとアニメ版の方が似合っている気はするけれども、暁先生なりの考えをもって生んだキャラと名前を安易に変更するのはどうかと。別に原作者が名前にこだわっていなかったり、モブキャラとかならいいんですが、きっと暁先生はすごくひとりひとりのキャラクターを大事にしてると思うので、そこは変えないほうが良い選択だったのではないかと。許可は取っていると思うのでこれもただの個人的な不満点ですが。

そしてカトレアと言うと原作下巻「飛行手紙と自動手記人形 前編」「同 後編」という話があるんですが、これを抜いた意味もわからないです。原作では非常に重要な位置を占めていて、さらに飛行手紙という素敵イベントがあるとても良いお話なんですが、アニメだと飛行手紙あっさりでしたね。あまり説明もされないからどういうものかよくわかんなくなっていましたし。というか趣旨変わってた気もしますし。

ホッジンズも結構性格変わってた感じがします。原作だとホッジンズ視点の回もあるのですごく彼に感情移入できるんですが、アニメだとちょっと影が薄くなっていたような。10話ラストでホッジンズが泣いても「なに泣いてんだこいつ」みたいになってしまう。子安さんもあまり感情が入ってなかったように聞こえてしまいました。

オスカーの話なんかは原作の一番はじめの物語で、導入としてものすごく完成されてたと思うんですが、前述の件しかり、圧縮カットされていたのが残念でした。

また設定についても、ヴァイオレットたちがなんで自動手記人形と呼ばれるかというと、オーランド博士という人が後天的に盲目になった物書きの妻のために肉声をタイプしてくれる機械人形を作ったっていうのがはじまりであるという説明があるのですが、その話なかったですよね。2話でちょっと説明があったような気がするけどあれじゃ言葉足らずだと思います。元が機械人形(アンドロイド、オートマタ)っていう18,19世紀感と、もともと代筆屋をしていた女性たちが同じ自動手記人形と呼ばれるようになったっていう設定が個人的には好きでした。

あと別に気にするほどでもないかもしれませんが、半ば原作厨じみたことを書いてるついでで、リオンの髪がシーグリーンだったのが黒になってたり、ホッジンズの会社がすげーでかくなってたりしてましたね。

 

 

次、声優問題。

ヴァイオレットの石川由依は良くなかったと思います石川由依の演技は幼すぎたかな。綾波・長門系の、もう少し大人版くらいの声がほしかったです。

長門といえば茅原実里。別にアニオリのエリカは影薄いしどうでもいいんですが、EDひどくないですか。なんかボーカロイドみたいで物語の余韻が消えてしまっているように感じました。ほんと記事冒頭のCMが大好きなんですけど、あれの「Violet Snow」が素晴らしいんですよ。僕の中の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はまさにあの曲のイメージなんですよね。しかも原作踏襲ではないですが、歌詞が三人称なんです。アニメOPのTRUEの曲も単品じゃ嫌いではないですが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の曲ではない気がします。そしてやっぱそっちは一人称なんですよね。

ギルベルト少佐。浪川大輔はミスチョイスだった。浪川大輔の声と演技が個人的にあまり好きな部類でないのもあるんですが、浪川大輔の声は軽めなので、少佐はそういう軽佻浮薄な感じではなくもっと苦労人の渋い声を脳内再生していたので残念でした。あの声で死に際のセルフを言われても説得力がないです。

あとサブキャラですが津田健次郎津田健次郎は爽やかなキャラ合わないですね。単純に合ってない、ミスチョイスだなーって思いました。

 

 

最後の不満点。キャラデザ・演出・作画。

京アニ神作画というのは深夜アニメ見る人なら一度は聞いたことがあるでしょうし、僕自身京アニ信者なのでその意見には大賛成ですが、今作に限っては全く神作画ではないです。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のことを神作画って言ってる人はオウムしてるだけで何も見ていないし何もわかってないと思います。

そもそも作画というのは基本的に原画と動画を合わせた動いてる画の部分を指すわけですが、手描き(≒2D)作画に関して言えば普通の深夜アニメと対して変わらないレベルでした。たまたま先日まで「らき☆すた」と「日常」を見ていたので余計感じるのですが、いわゆる京アニ神作画にしては圧倒的に動かないし枚数も少ないと思います。これは取材したわけじゃないし、見た感じのカンでものを言っているけれどたぶん間違ってないと思います。京アニは作画枚数余らしてんのかって思うような”遊び”の部分を入れてくるのが特徴だと思っていて、「らき☆すた」だとOP(本来はOPと本編は分けて考えるべきなのですがここでは便宜的に)とか、「日常」だったらやけに動きまくったり爆発したりするところとか、「中二病でも恋がしたい!」だったら戦闘シーン、「小林さんちのメイドラゴン」であればOPおよびカンナちゃんとかとか。そもそも今作はストーリーテリングにおいてもコメディ色のある”抜き”の部分、緩急で言う”緩”が不足していて、他作品で言う作画の”遊び”も見られない。かといって全体的な作画の質が高いのかというとそういうわけでもない。もちろん今作のキャラクターデザインは服も髪も線が多くて動かしづらいことこの上ないと思うんですが、それでもいつものような目を見張る作画とは言えなかった。例のCMみたいなの期待してたので少しがっかりしました。

ただ、多くの人が勘違いしてる”作画”。つまり、手描き(≒2D)作画とCG(≒3D)作画、背景美術、撮影処理を含めた全体的な画としての完成度で言えばきれいだと思います。京アニには京都アニメーションデジタル映像開発室という部署があって、そこで3DCG系の映像を受け持ってるはず(だと思う)ですが、CLANNADとかハルヒらき☆すたのころはまだ違和感ありましたが今作はほんとに綺麗でした。水とか、おそらくヴァイオレットの腕も3DCGだと思うんですが、あれは素晴らしかったです。背景美術も申し分なく綺麗でした。

演出も個人的には刺さりませんでした。監督の石立太一さんが副監督やってた「日常」もそれほど面白く思わなかったんですが、合わないのかな。全体的に展開が急ぎ足だし、盛り上げ方、キャラへの寄り添い方も浅い感じがしました。BGMがひっきりなしにかかってるのも好きじゃなかった。

具体例を上げると、7話のラスト。ヴァイオレットが社を飛びだしてから引きの画が続いて、周りは昼で綺麗な植物が植えられた道、悲壮なBGM。最後の最後で少しアップして泣き顔。物語上かなり重要なシーンで演出の見せ所だと思うんですが、この演出はどうかなと思います。ベタなものしか思いつかないですが、たとえば、もっとローキーにするとか、カメラをキャラから外すとか。またはもっと単純にエヴァーガーデン夫人から唐突に死んだと言われて息を呑んでタイトルイン、みたいな。普通にあの演出良かったでしょ、という意見もあるかと思いますが、個人的にはあの演出はイマイチだったと思います。

他にもギルベルトとの別離のシーン。率直に言うとしょぼいです。原作でもちょっとクサくて手放しに好きとは言えない場面なんですが、アニメ版はしょぼすぎじゃないかと。信号弾打ち上げてからのボロ負けもよくわからないし、余計なセリフ足されてるし、画もイマイチでした。一番拍子抜けしたのが、ヴァイオレットが手を失う理由。原作だと、両腕に重傷を負った彼女がそれでも動けない少佐をどうにか運ぼうと、助けようとして腕が引きちぎれてしまうんですよ。それほどまでに彼女は人間離れしていて、そしてそれほどまでに彼女は少佐を愛していた。それが痛いほど伝わる良い描写だと思うんですがそれを削除するのはどうなんでしょうか。少佐の「愛してる」の言葉も、その章は少佐視点だったのでその分の溢れる思いがいろいろ語られているんですけど、アニメだと「自由に生きろ」が追加されて「愛してる」が短くなってしまったのはとても残念です。目が潰れたギルベルトももっとリアルに描きこんだ方がよかったんじゃないかな。目瞑ってるだけみたいでしょぼかったです。放送倫理的に制約があるのかもしれないですが。

タイトルインの仕方も微妙でした。リゼロで見たやつ。そもそもリゼロが何かのパクリかもしれないんですが、ともかく直近の作品の二番煎じはあまり。個人的にはクリエイターとして新しいことや自分にしかできないことを目指してほしいです。

(※作画と演出に関してはまだまだ不勉強なのでいろいろ間違っているところや勘違いあると思いますが、気づいた方はコメントください。)

 

ラストのキャラデザについてですが、正直これが一番残念かもしれません。何度も繰り返しますが、僕はあのCMが好きで、あれが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のイメージそのものなんです。あのCMのヴァイオレットの美しさに惹かれたので、キャラデザの変化は本当に残念でした。原作挿絵とCMは近いんですけどね。

沖浦啓之さんがおっしゃっていたんですが、どうやら現場は前の作品に(アニメーターからすると直前に携わっていた作品)にデザインが引っ張られるらしく、京アニはTVアニメだと「小林さんちのメイドラゴン」を挟んではいますが、「響け!ユーフォニアム」シリーズをずっとやってて、劇場作も「聲の形」「リズの青い鳥」と、目が小さくて髪の毛の書き込みが多く、顔の下半部が広くて頬が膨らんだあのデザインに引っ張られてるみたいですね。年始の劇場版中二病もすこしデザイン変わってる感じしましたし。CMみたいな目が大きくてフェイスラインがすっとしたデザインが好みだったんですが。あとキャラの鼻のあたりを泣いた後みたいにほんのり赤くしてるのもすごく嫌で気になりました。キャラクターデザイン担当の高瀬亜貴子さんは変わってないんですけどね。西屋太志さんっぽい感じがしました。

 

 

 

以上になるわけなんですが、実は今作については前から嫌な予感がしてました。キャラデザは変わってるし、PV、新CMはなんか微妙だし。もともと原作も最後の列車の展開とか、軍人兵器というヴァイオレットの過去に若干の不満があったんですが、それでも自動手記人形という素晴らしい着想と暖かな作風が好きだったし、何よりあのCMが好きだったので、どうにか京アニ様お願いしますという気持ちだったんですが。見てないものは批判するなっていう自分ルールがあるので、一念発起してNetflixで一気見してこの記事を書いているんですが、やっぱりあのCMのままの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が見たかったなぁ…。

新作決定ということで、この先どうなるのかよくわかりませんが、といっても原作だとギルベルト生きてるんでたぶんその話をやるんでしょうが、一作目を見た以上二作目も見るでしょう。そのときに記事を書くかはわかりません。それと、この記事を書くにあたって軽く調べてたんですが、最近原作本の外伝が出たんですね。たぶん読むんじゃないかなーって思います。

 

追記 2018/4/23)

石立太一監督は初監督の「境界の彼方」でも原作改変してたみたいですね。そもそも京アニは原作改変多いとか言われるけども、京アニ作ではこれがはじめて原作先行で接したのでそういう印象が強かったのかなぁ。Key三作に関しては原作ゲーム買ったのでいずれやります。しばらく先になりそうだけど。ADVってやるのに気合入りますよね。時間かかるし。そのときにまた記事を書くかもしれないです。

あと、石立太一監督のインタビュー読んで、5話が実は原作準拠で、京アニ大賞選考で載ってた話だったんだと知りました。後出しですが、5話はすごく気に入ってたんですよ。5話と3話はオリジナルだけど良いなぁって思ってて、3話は本当にオリジナルみたいだけど5話は暁先生のシナリオなんですね。外伝に掲載されるようで、早く読んでみたいです。

 

それにしても初期CMほんと良いな。なんで「Violet Snow」外しちゃったんだろう。EDでも良かったのに。まぁタメて13話で流れるのも知ってる身からするとぐっと来たけどね。

 

KAエスマ文庫 ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上巻

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