FINAL FANTASY VII REMAKE 感想

FF7Rの感想です。重大なネタバレあり。注意してください。

 

まず、今作の感想を語る前に、僕にとってFF7がどのような存在なのか説明したいと思います。

 

僕がFF7、ひいてはFFシリーズをはじめてプレイしたのがCRISIS CORE FINAL FANTASY VIIでした。小学生の時に買ってもらったソフトと同梱版のpspは今でもゲーム棚に仕舞ってあります。それまで任天堂ユーザーだった僕にとって、pspというのはちょっと背伸び(パンツ)するようなドキドキするハードで(CEROだってBだし)、ひとつの「特別」でした。

タイミングよく初代ディシディアが発売されたのもその頃で、以来FFシリーズを追うようになったというわけです。ps3FF13、vitaはFF10仕様のものを買うぐらいにはのめりこんでいきました。

無印を初プレイしたのは、中3か高1ぐらいだったと思います。今思うとそれほど原作デビューは早くないですが、CC自体、ゲーム下手などあって2、3年越しのクリアで、寄り道ばかりしてしまうのが僕の性なんでしょう。

それでも、同じ97年生まれという巡り合わせの下で、FF7は僕にとって充分に「運命」だったのです。

 

自分語りはここらへんで区切って、本題に移りましょう。

 

先に結論から。とても良かったです。予想以上の好作でした。

できるだけ客観的に評価するなら、大きな不満点はシナリオが新規向きではないこと、プレイアブルキャラクターが少ない及びパーティー編成できないことぐらいで、ボリュームもあり、歯応えもあり(NORMALでプレイしました)、やり込み要素クリア後要素もあり、戦闘もおもしろい、映像も美麗でフルプライスのソフトとしての及第点をクリアしていると思えます。

 

ファンとしての評価も、とても素晴らしいと感じました。

やはり映像全体が美しくなっていることが素晴らしくて、制作発表のときも、今作のOPも、クラウドたちが、あのシーンが、あの音楽が、蘇って目の前に現れるというだけで感涙してしまいます。作り込まれたミッドガルを歩けるのが素直に嬉しい。七番街スラムからプレートを見上げた時の感動は、FF7ファンにはぜひ体験してもらいたいです。

どうしてもオリジナルの要素を感じる音楽やセリフにいちいち喜んでしまいますが、アレンジも悪くはありません。ビッグス、ウェッジ、ジェシーの掘り下げも良いですし、女装イベントも遊び心を存分に感じました。

そしてシナリオ。とてもうまくまとめたと思います。

いわゆるエアリス生存ルートを可能にするために、並行世界設定を持ってくるというのは、ファン心理としては刺さるものがある。

「生まれる前から伝説」というコピーが中々秀逸です。ファンはプレイ前にこれを見たときは、作品とセフィロスとのダブルミーニングにニヤリとすると思うのですが、クリアして改めてこのコピーに触れると、プレイヤーひとりひとりが背負っている無印の経験という伝説=運命を乗り越えていくという意味が生まれるという仕立てになっているのですね。

プレイ前は情報を制限していたのでCM等はあまり見ていないのですが、チラ見した印象でも(特に特別長編CMなど)、僕たちの中に眠る伝説(思い出)というのが意識されているように思えます。

 

個人的な話にからんだ評価として。

僕にとって無印はまさに「(僕が)生まれる前から伝説」であって、リアルタイムでプレイすることは叶わない運命でした。そのことはずっと僕の中のわだかまりになっていた。Rの製作発表に泣いて喜んだのは、FF7を同時代に感じられるからでした。そして実際に発売日を待ち焦がれたこと、はやる気持ちを抑えてプレイしたこと、一日中テレビにかじりついたこと。僕にとっての運命をも超えていくという奇跡に心を動かさずにはいられなかったです。”僕”が、当時の人達と同じように、そして子供の頃のように”FF7”を待ちに待ってプレイした思い出は、一生ものになりました。

ザックス生存ルートの可能性というのもCCファンとして個人的に高ポイントでした。

 

人にはそれぞれ「特別」があると思います。僕にとってかけがえのないもののひとつ、それがFF7です。

ゴールドソーサーはどうなるんだろう。ユフィは、シドは、ヴィンセントは、ケット・シーは。タークスも掘り下げられるのかな。ルーファウス歓迎式典はどんな曲にリメイクされてるかな。召喚獣は増えるだろうか。てきのわざは増えるだろうか。ワールドマップはどうなるのか。

疑問はいっぱいです。期待もいっぱいです。本当に次作が待ち遠しい。

それまでたくさんやり込みます。いつかRが伝説となれるように。

 

 

ちなみに、ACは見たし持ってるんですが、BCとDCはやっておらず… 特にBCはもうプレイすることは不可能なので、どうにか辿る方法はないだろうかと探しております。リメイクしてくれてもいいのよ。

 

 

 

追記(2020.4.17)

藤原啓治さんの訃報を受けて。

松来未祐さんの訃報を知ったとき、僕は下セカを見た後でした。ちょうどアニメに興味を持ち始めて、アニラジという文化があることを知って、大役を演じていなくても、いろいろな役者さんが、そして僕たちと同じ普通の人間がアフレコをしていることを知りました。その中に松来さんがいました。

石塚運昇さんの訃報は、旅行先の空港で機内モードを切って真っ先に触れたニュースでした。機内では、ダウンロードしていた初代アニポケを見ていました。オーキド博士の次回予告を聞いた直後でした。

偶然なんか、挙げだしたらきりがありません。ある意味で世界はすべて偶然でもあり、必然でもあります。僕らがそれに気づいているか気づいていないか、偶然と思うか思わないかの違いしかないです。

 

あえて、オタクらしく、僕が個人的に好んでいた呼称を使います。啓治くんは、僕の「特別」の一人でした。

CCでレノの声をきいたとき、友達の家でキングダムハーツを遊んだとき、夕飯あとにクレヨンしんちゃんを見ていたとき。幼いときからその「声」がそばにありました。成長して、興味の幅が広がっても、そこには啓治くんの「声」がありました。

アニメに興味を持ち始めた当初、うたわれるものが好きになりました。うたわれらじおを聞いて、すごい面白いと感じていた最中、うたわれるもののゲームの新作が出て、アニメ化もするというニュースが出ました。とても嬉しかったです。その新作の主役のキャストが啓治くんでした。オタクらしく喜びました。その後、病気療養するというニュースを聞いて、心配しました。同時にダブル主演の他方であった種田梨沙さんも休養の知らせもあり、松来さんのことなどもあり、多くのファンが二人を心配していたとおもいます。

復帰の知らせを聞いたときは、勝手に全快したとのだと思いました。

Rのレノの声を聞いたとき、前と違うなと感じました。まだ本調子じゃなかったのかな、収録が療養に重なって代役を立てたのかなと思いました。

 

 運昇さんのときに痛いほどに感じたのですが、いままでそばにいた「声」が「記憶」に変わる瞬間は、とても苦しいです。「声」の形が急にとけてしまって、二度と戻らなくなってしまうような。会ったことがなくても、運昇さんも啓治くんも、僕にとってかけがいのない人たちでした。

 

意味がないとわかっていても、この偶然を神様に恨まずにはいられません。月並みでも、もっと啓治くんの声が聞きたかった。待っている作品がいっぱいあった。

これからもこういうことは起きると思います。それどころか、年を重ねるほどに増えるはずで、僕はそれがとても怖いです。僕は人が死ぬのが怖いです。純粋なエゴとして、僕は誰にも死んでほしくない。それに立ち向かっていく勇気がない。

でも、昔から時間が解決してくれると言われているように、きっときちんと受け入れられる日が来るんだろうと思う。運昇さんの声を聞くのも、ちょっとつらいけど、すごくあたたかい気持ちになるようになったから。

 

啓治くん、いままで本当にありがとうございました。大好きです。