高畑勲論(初稿)

 

とあるところに出した文章をそのまんまコピペしています。 

締切に間に合うように無理やり書き切った感があるので、今後加筆していく予定(別記事になるかも)です。

 

 


 

第一章 高畑勲と「リアリズム」

 

三重県宇治山田市(現在の伊勢市)に生まれた高畑勲(1935-2018)は少年期を岡山で過ごした後、東京大学仏文学科[1]に進学し、1959年に東映動画(現・東映アニメーション)に入社した。演出助手を経て『太陽の王子 ホルスの大冒険』(東映、1968[2])で初の演出(監督)を務めた高畑は東映動画退社後、Aプロダクション、ズイヨー映像、日本アニメーションテレコム・アニメーションフィルムと居を転じ、1985年にはスタジオジブリ設立に参画するものの最終的にはフリーとして活動を続けた。それぞれの会社において『パンダコパンダ』(東宝、1972)[3]、『アルプスの少女ハイジ』(フジテレビ系、1974)[4]、『赤毛のアン』(フジテレビ系、1979)[5]、『じゃりン子チエ 劇場版』(東宝、1981)[6]などの代表作を残している。『火垂るの墓』(東宝、1988)[7]以降の作品はスタジオジブリにおいて制作され、8年かけて制作された『かぐや姫の物語』(東宝、2013)[8]は前作の『ホーホケキョ となりの山田くん』(松竹、1999)[9]以来14年ぶりの新作であり、遺作となった。

高畑がアニメーションを志すきっかけとなったのは学生時代に出会った『やぶにらみの暴君』La bergère et le ramoneur(ポール・グリモー監督、ジャック・プレヴェール脚本、日本公開1955)[10]であり、これに関しては高畑自身が「これをもし見ていなければ、わたしはアニメーションの道に進むことはなかったと断言できます。それほどの衝撃だったのです」[11]と述べている。「アニメーションの大きな可能性に賭けたかった」[12]高畑は、しかし突然変異的にアニメーションを志向したわけではない。学生時代には東京大学映画研究会の同人誌『影繪』に「映画音楽と早坂文雄の死」[13]が掲載され、また『母をたずねて三千里』(フジテレビ系、1976)[14]に色濃く見られる「イタリア・ネオレアリズモ」[15]の影響[16]や、「縦の構図」の演出傾向[17]を自認する点からも、高畑の映画に対する造詣の深さは確かに認められるところであり、映像への関心は高かったとみられる[18]

グリモーとプレヴェールに並んで高畑に影響を与えたアニメーション作家として挙げられるのがユーリ・ノルシュテイン(1941-)とフレデリック・バック(1924-2013)である。『霧の中のハリネズミYozhik v tumane(日本公開1975)[19]や『話の話』Skazka skazok(日本公開1979)[20]で有名なノルシュテインについて高畑は、特に『話の話』を「思想と主張をもった一篇の長篇詩である」[21]と絶賛し、ノルシュテインのファンであることを公言しているが、両者は1983年に対面して以来交誼を深め、高畑が亡くなった際にはノルシュテインスタジオジブリの機関誌『熱風』に哀悼の辞を寄せるなど、相互に刺激しあっていたことが伺える。フレデリック・バックは『クラック!』Crac(日本公開1981)[22]、『木を植えた男』L’homme qui plantait des arbres(日本公開1987)[23]等の作品で広く知られているが、スケッチ調の描線と空白を活かした画づくりを特徴とし、これが高畑の後年の作品づくりに決定的なインパクトを与えたことは疑いようもない。高畑はノルシュテインと同様にバックとも親交を結んだが、闘病中のバックが完成直後の『かぐや姫の物語』を手に訪れた高畑と会見した8日後に亡くなったエピソードはファンの心に深く残っていることだろう。

上記の人物が高畑に外的な影響をもたらしたとするならば、内的な影響を与えた人物も存在する。いうまでもなく宮崎駿小田部羊一大塚康生らを筆頭とする共同制作者たちだ。自ら演出の師と仰ぐ芹川有吾や、森康二大工原章といった東映動画のアニメーター陣。『赤毛のアン』、『おもひでぽろぽろ』(東宝、1991)[24]において無二の働きをみせた近藤喜文や、背景美術を担った井岡雅宏、椋尾篁男鹿和雄、山本二三。高畑の「同志」を述べ連ねることは本稿の目的ではないためここで控えるが、高畑の著作の随所に登場する共同制作者たちなくしては高畑の作品を語ることはできない。

 

高畑の作品論において必出といえるキーワードが「リアリズム」である。主に『アルプスの少女ハイジ』をはじめとする世界名作劇場三作から『平成狸合戦ぽんぽこ』(東宝、1994)[25]といった作品にみられる緻密な空間設計、運動描写を指して「リアリズムの作家」と評すのが一般的な高畑の受容だ。 しかし、この「リアリズム」という語は明確な語義を欠いた状態で濫用されているきらいがある。以下、高畑の「リアリズム」について詳しい氷川竜介の「アニメーションの変革者・高畑勲」を引用しつつ、高畑の「リアリズム」について本稿における定義付けをおこなう。

 まず氷川は「リアル」についての自身の見解を述べつつ、高畑の作品が持つ「リアリティ(現実感)」を担保するものを高畑の言葉を援用して「映画の世界観を時空間的に保証する(クレディブルにする)もの」としての「コンティニュイティ」であるとする。

 

しかしながら、この「リアル」という単語が曲者なのだ。「メカもの」で機械や戦闘の描写を細かく描き、「美少女もの」で装飾類を省かないという「情報量を増やす」だけのアニメづくりは、誤解の最たるものだ。手数の増量だけで「アニメなのに細かい」「手を抜いていなくて良い」などと語る短絡的批評ほど虚しいものはない。最大の急所は「リアル(現実)の引き写し〔引用者註trace〕」に意味があるのではなく、「これは本当だ」と感じるに足る「リアリティ(現実感)」の有無である。そのポイントは、判断の主体を観客側に委ねるという点だ。では観客はどんな根拠で何を読み解いて「リアリティ」を獲得するのか?

「信用」などの言葉は不適切と考える。高畑のような人物は、観客に対峙するときは「好感度」や「信頼度」のような「心の問題」、感情のアピールに近い基準は棄却し、もっと理性的に処するはずである。であれば、その「ゆらぎのない基準」とは何なのか。

(中略)

高畑勲監督は、“映画にする”ための「クレディビリティ」を確立した。その方法論は「作家性」という属人性の強い曖昧なものや好悪などの情緒には依拠しない。むしろ宇宙通貨的に万人が共用可能なものであった。だからこそ、宮崎駿をふくめた他の作家がその「通貨的な方法論」を使い、応用し、各自なりの映像世界が展開可能となったのだ。そしてその「映画的にユニバーサルな言語的性質」が、世界で日本の商業アニメーションが 通用するための裏打ちとなった。まさに「クレジット」を与えたのだ。

この「クレディビリティ」を考察する補助線のひとつは、映像づくりで重視される「コンティニュイティ」である。[26]

 

絵コンテおよび高畑の導入したレイアウトシステムによって保証される時間的空間的連続性が映像に「リアリティ(現実感)」を与えるということである。

ここで厄介なのが「リアリティ」という語が矛盾する意味を含有していることだ。『ジーニアス大辞典 第4版』で「reality」を引くと、名詞として①現実、②本質、③(描写の)迫真性と説明されている。③は狭義に使われるため除外して①と②の意味を考えてみると、ここに矛盾が見えてくる。つまり、「実在のもの」と「想像のもの」の二項対立を語る場合としての意味(①)と、「事物の本質」と「事物の見かけ」の二項対立を語る場合のそれ(②)であり、前者においては写実的なものこそが「リアル(リアリズム的)」であるのに対し、後者では必ずしも写実的であることが是とされていないという矛盾だ。[27]氷川の仮定した「リアリティ(現実感)」を高畑は「コンティニュイティ」によって達成したが、これは「実在のもの」を保証するための方法論であり、「事物の見かけ」が重視されるということになる。要するに「事物の本質」が退けられてしまっているのだ。このことに違和を感じた高畑は、自身の手法が受け継がれ[28]「見かけ上のリアリズム」が独り歩きしていく日本のアニメーションに反旗を翻し、決別することになる。[29]このことについての氷川の論は以下に引用する。

 

だから「アニメが提示する世界観」は「作品世界を通じ、思想・哲学的に何が見えてくるのか」を問うのが正統な用法なのである。

(中略)

これを前提に、「安心して主人公に寄り添い、作者の導いてくれるママにただ感情移入しながら『見世物』を見るのではなく、覚醒した目ですべてをただ見つめよ、考えろ」という「ブレヒト的な映画の作り方」の点で、ポール・グリモーの映画『やぶにらみの暴君』(1952)を高く評価する。その影響下で作品を作り続けてきたという高畑は、「映画を通じ、観客にどんな主体的世界観をもってほしいか」という問いかけを抱き続けてきたはずなのだ。疑問や思考の種をまき、安易な感情の同調は拒絶し、映画側の視点は客観性をもって対象ともある程度の距離をおいて「あるがまま」とする。観客の自主性を重んじながら、世界観の発見を期待して映像をつむぐ……。これが高畑式クレディビリティの真意だったとすると、ここまで述べたことは高次の映画体験の受容を可能ならしめる下層のフォーマットに過ぎなかったということになる。[30]

 

以上の事柄をまとめ、高畑の「リアリズム」が何たるかを端的に述べると、それはイデオロギーだ。旧制高等学校の教育的教養主義的風土が乾ききらぬ大戦直後に東京大学に席を置いた高畑が強い思想を有していたことは明らかである。東映動画労働組合時代の社会主義的支柱は、『太陽の王子 ホルスの大冒険』において、何人ものホルスや村落共同体としてフィルムの上に顕在化されながら高畑の生涯を一貫していた[31]アンドレ・バザン[32]が称賛した『市民ケーンCitizen Kaneオーソン・ウェルズ監督、日本公開1941)のスーザンの自殺場面における「パン・フォーカス」が合成された画であったという事実は今では周知であるが、それでもバザンの理論が揺るがないのはその根底に「現実」への確固たる思想があるからである。[33]同じように、高畑は自己批判的に「見かけ上のリアリズム」を捨て去る[34]が、それによって高畑の作品が崩れることはない。それは作り手としてのあるいは受け手としての態度、姿勢としての「リアリズム」が貫かれているからであり、『やぶにらみの暴君』によって花開いたそれは、一見転回を見せたかに思える『ホーホケキョ となりの山田くん』以後の作品にも確実に根ざしている。「リアリズム」は形式に先立たれないのだ。

では『ホーホケキョ となりの山田くん』以後の作品の「リアリズム」は、具体的にはどのような形で結実したのか。それは「動き」である。

 

 

 

第二章 「動き」と「アニメーション」

 

具体的な作品の分析に入る前に、現在のフィルムスタディーズにおいて注目される「動き」と「アニメーション」の問題について整理しておく。

近年のフィルムスタディーズの一傾向として映画における「動き」の(再)考が図られている。一例として、トム・ガニングは“Moving Away from the Index: Cinema and the Impression of Reality”[35]においてその誕生からして入り乱れたメディウム群のひとつである映画の本質の一側面を担うものとして「運動(movement, motion)」[36]という問題系があることを指摘した。はじめにガニングはC・S・パースの提唱した記号学の三幅対であるイコン、インデックス、シンボル[37]のうち、インデックスをめぐる映画理論の歴史的変遷をバザンのリアリズム映画理論[38]を中心に説明しつつその限界を示した後、それを補いうるのが「運動」であると述べる。「運動」は古典的映画理論においても言及されている視座であり、かつそれまでの映画理論家が目を背けてきたアニメーションを語ることをも可能にする映画の極めて重要な要素であることを主張し、レフ・マノヴィッチのアニメーションのなかに映画を包摂する言説[39]を参照しながら、映画の「運動」における優れた考察としてクリスチャン・メッツの記号学についての記述をする以前の論文である「映画における現実感について(“On the Impression of Reality in the Cinema”)」を挙げて映画「運動」理論の「序論(prolegomena)」を試みている。

ガニングは「写真とはモデルそのものなのだ」[40]というバザンの主張に関連させつつメッツの知覚主体にとって再生(re-produce)された運動と実際の運動は区別できないという運動知覚に関する主張を取り上げ、運動知覚における観客の参加(participation)が生理的な(physiological)効果をもたらすために実際には動かない図式的な(diagrammatic)運動描写(portrayal of motion)は実際に動く運動描写と決定的に異なるとしている。再生される運動と実際の運動が同様に知覚されるという点は首肯できるが、実際には動くか否かで運動描写を区別する点は三輪健太朗が当論文を紹介した文章[41]内でも指摘しているようにやや無理があるように思える。三輪はガニングも触れたエイゼンシュテインの「原形質性(plasmaticness)」が実際に動く「運動」についてのみ語っているわけではないと述べ、「映画」がメディウム群のなかで多様な関係を結んできた歴史を考えたときに、図式的な運動描写であるエティエンヌ・ジュール・マレーのクロノフォトグラフィもマンガのスピード線も未来派の絵画も捨象される領域ではないとしている。それだけではない。ガニングが念頭に置いている「運動」が現実に起きる物体の移動へ向いていることは、抽象アニメーションの存在を無視することに陥りかねないし、抽象アニメーションは図式的な「動く錯視」と関連して語ることもできよう。論を先取りすれば、高畑の絵巻物をアニメーションの起源とする考えも実際に動くか否かの区別では理解されない。ただ、映像の「運動」の「現実感(impression of reality)」を知覚という現象で語ったことは、これからアニメーションの「動き」を考えていく上でもキーとなるものであり、何よりも「現象」こそが高畑の「リアリズム」とアニメーションの「動き」を接続するために重要なタームなのだ。本論では映画一般における「動き」の問題を探ることはしないが、「映画」と「アニメーション」を結ぶ「動き」が今後の映像研究における最も重要な課題のひとつであることは疑いようもないだろう。

 

具体的なアニメーションの「動き」の話に移る前に「アニメーション」という表象についても確認しておこう。

「アニメーション」の歴史的起源はソーマトロープ[42]などの視覚玩具とされることが多い。人間の映像認知プロセスが残像現象[43]と仮現運動[44]によって説明される[45]ためにこのような玩具がはじめに説明されるのであるが、より直接的なつながりではJ・S・ブラックトンの『愉快な百面相Humorous Phases of Funny Face』(1906)と『幽霊ホテルThe Haunted Hotel』(1907)、あるいは『ファンタスマゴリーFantasmagorie』(エミール・コール監督、1908)が挙げられる。『愉快な百面相』は当時人気であった見世物のひとつの「ライトニング・スケッチ」[46]的性格が強い、黒板にチョークで描かれたキャラクターが様々に変化していく映像作品であり、『幽霊ホテル』ははじめてコマ撮りが使用された映像作品である。『ファンタスマゴリー』はほぼ全編がコマ撮りによって制作されている点によって「真の」意味でアニメーションのはじまりと言われることが多いが、ウィンザー・マッケイらに代表されるこの初期の時代の次に訪れるのが、ウォルト・ディズニーフライシャー兄弟のスタジオで制作されたカートゥーン・アニメーションだ。現在まで続く「アニメーション=ディズニー」の強力な一般認識は当時から有効であり、その影響力は世界各国に伝播してそれぞれの「アニメーション」が生み出されることになる。雑駁だが、以上が「アニメーション」[47]の歴史記述の基本形であり、ここに付加される事柄によってその方向性が変化する。本論では『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(土居伸彰、フィルムアート社、2016)を手がかりにもう少し踏み入った「アニメーション」の定義を探っていく。

土居は「アニメーション」の語義は歴史のなかで変化してきたと指摘し、今日的な意味合いで「アニメーション」が使われだしたのは1950年代のフランスでアンドレマルタンが主導した「アニメーション映画(Cinéma d’animation)」を標語にすえた運動に拠っているとしている。マルタンは「カイエ・デュ・シネマ」誌第49号(1955年7月)に「アニメーション映画」という論考を寄せているが、エルベ・ジュベールローランサンマルタンの短編作品を主に扱ったシネクラブ活動が拡大する形で1956年のカンヌ国際映画祭期間中に開催された「国際アニメーション映画週間(Journées Internationales du Cinéma d’animation)」[48]こそが「アニメーション映画」という概念が誕生した瞬間であるという主張を引きつつ、土居は「「アニメーション映画」とは「曖昧」であり、「無数の技術」であり「限界の知られていない」「新たな」ものである」[49]マルタンの趣旨をまとめ、これが現在の「アニメーション」が持つ意味[50]の原型であるとした。「アニメーション映画」でくくられる作品の形式上の共通項はコマ撮り[51]だが、マルタンの意図はカテゴライズにあるのではなく、戦後に急速な広がりを見せる動画表現に対して「アニメーション=カートゥーン=ディズニー」という先入観からは見えてこない個々の「新たな手法・新たな人々」に目を向けさせることにあったと土居は述べ、そこから「アニメーション」は「個人的な」表象であるとする自説へと展開させている。

さて、土居はマクラレンの発言を引いて「アニメーション映画」はフレームの「間」[52]に生まれるものだとした。このフレームの「間」という考えは、デジタル技術の発達を受けて「映画」と「アニメーション」の主従関係を逆転させようとしたマノヴィッチの言説とは相容れない。

 

マノヴィッチによれば(中略)デジタル技術の導入により、実写映像は、コンピュータ・グラフィックスなどと並んで、映画を作るためのひとつの材料にすぎなくなる。それはある意味において、シネマトグラフ以前の「手作業で作られた」映画誕生最初期の状況―エミールレイノーのプラクシノスコープのように映画=アニメーションであった状況―の回帰である。映画のサブジャンルになってしまっていたアニメーションが、逆に映画を呑み込む事態を作り出すのである。

ここで注目すべきなのは、マノヴィッチが用いるアニメーションという言葉は、グラフィックスを作るという側面のみを指しているということである。マノヴィッチが「映画」と「アニメーション」を比較するとき、両者を分けるのは、画面上のイメージが光学的な記録によるものなのか、「絵筆」(手書きの絵、コンピュータ・グラフィックスから,ペンタブレット上の作画に至るまで、平面的な「グラフィックス」であるもの)によるものなのか、ということだ。つまり、フレームの「上」の出来事にだけ、目が向けられている。CGはおそらく、アニメーション自身のみならず、アニメーションへの考え方に対しても大きな影響を与えている。デジタル時代、フレームの「上」の見た目こそが問題となる。運動の創造としてのアニメーションの特質は、こういった変化によって、忘れ去られる準備を完了する。[53]

 

 マノヴィッチ的な「アニメーション」の解釈は「アニメーション」の孤立の歴史、「映画」という主流を強烈に意識することが逆説的に下位存在として自己を保たせるというジレンマに結びつき、次第に「アニメーション」は「新奇で特異な」フレーム「上」の表現の探求に傾いていくことになる。この考え方に反意を示す土居は「アニメーション」の孤立の歴史をやはりアニメーション制作者たちの「個人的な」営為に結びつけて、フレームの「間」という軸を再度強調する。

 

アニメーションにおいては、それ自体としてはいかなる運動も時間も含まない膨大な量の静止画の蓄積が作品の時間を形成する。アニメーションは時間の創造である。そこで生まれるのは、前もって存在したものの記録ではなく、そのとき初めて生まれる固有の時間である。アニメーションにおいて流れる時間は、われわれが実生活を送る時間とは関わりのない、作家が正しいと感覚する内的な時間なのである、コマ撮りがもたらしうるのは、自分が望むようなリズムで展開される時間である。

アンドレイ・タルコフスキーは、映画内のテンポが「映画監督に内在する本質的な生活感覚に応じて、彼の〈時間の探求〉とのかかわりのなかで有機的に生まれてくる」[★67]ものだと語っている。作品が作家の内的なテンポによって構築されるというこの考え方はノルシュテインのものと近い。だが、その実現のために両者が取る方法は異なっている。そこに着目することは、実写映画とアニメーションの相違点を浮かび上がらせることになる。重要なのは、やはりコマ撮りである。タルコフスキーは、映画が「時間の彫刻」であると語る。モンタージュという「彫刻」によって起こる時間の変質が、その作家の内的なリズムや「エクリチュール」を明らかにすると考えるのである[★68]。タルコフスキーのこのような考え方に対し、ノルシュテインはこう語る。「アンドレイ・タルコフスキーは映画が時間の彫刻だと言います。わたしが思うに、これはかなりの程度実写向きのものであると思います。アニメーションは時間を彫刻しません。時間を想像するのです[★69]」[54]

 

 筆者はかねてより「アニメーション」と「実写映画」を比較する補助線として「足し算」と「引き算」の概念が有効なのではないかと考えてきた。つまり、「アニメーション」は無の状態からひとつずつ積み上げていく表象であり、「実写映画」はすでにあるものから引いていく表象だということだ。これは制作方法の違いに基づいた考え方であり、作家の「個人的な」営為を重視した土居が作り手の立場に寄って語っていることは明らかだろう。

その後土居はアニメーション史を下りながら「アニメーション映画」の特性を記述していく。その中には高畑への言及もあり、高畑は「アニメーション映画」の「形而上性」を最も強く表出した人物であると論じている。[55]高畑のような「社会的」な制作者は「個人的」であることが重視される土居の考えと矛盾するように思われるかもしれない。しかし、「個人的な」「アニメーション映画」の存在自体が「アニメーション」および「映画」の可能性を開かせているということがすでに「社会的」であるというのが土居の主張だ。

話は「アニメーション映画」の物質性と抽象性の「二重性」に移る。フレームの「間」に重要とされるマクラレンのアニメーション論において、フレームの「上」にあるものは問われない。ユーリー・ロトマンの述べたアニメーションの特質について「アニメーションではない別の芸術言語の約束事を媒介・着脱させることができること」[56]とまとめ、文学や演劇のように「観ているものと捉えられるもののあいだには「ズレ」が起こる」[57](二重性)ことが「アニメーション映画」の特性のひとつであると語る。この考えを補強するものとして土居はさらにエイゼンシュテインの「原形質性」を持ち出す。土居による「原形質性」の解釈をみてみよう。

 

 だが、エイゼンシュテインのこの原形質性の概念を考える際に気をつけねばならないのは、エイゼンシュテインは決して、ビジュアル(物質性)の次元における具体的なメタモルフォーゼについて語っているのではないということだ。ラーキンの作品のように描線がぐにゃぐにゃと曲がるとき、それこそが原形質性の具体例にも思えるが、しかしおそらくそうではない。目に見えて起こる変容の話をしているのではないのである。ディズニー作品を語るエイゼンシュテインの言葉は、ディズニー作品において実際にメタモルフォーゼが起こっているように錯覚させるが、そうではない。『人形のおどり』を観ても、タコは像に実際に姿を変えるというわけではない。自らの身体の輪郭線を象に模すことによって、結果として象のような印象を与えているというだけなのだ。

 エイゼンシュテインが原形質性という言葉で意味しているのは、アニメーションのビジュアルのそのリテラルなレベルで起こっていることではない。アニメーションを観る私たちの意識(つまり抽象性のレベル)において―すなわちノルシュテインの言う「メタファー」を知覚するレベルで―起きている変容である。二重性が活用されることで、描かれているもの(実際に存在しているもの)とは違ったものを、アニメーションは観客に見せうるということ―物質的にはタコでありつつ、同時に、「メタファー」としては象になる―、それを語っているのである。

(中略)

ひとつのリアリティのうちにその世界を固定しているかぎり、それは非原形質的である。むしろ、原形質性の発言によって認識されるリアリティが次々と変わることこそ、アニメーションの独自性といえるのではないか? 原形質性が意味するのは、アニメーションを観るとき、観客の意識のなかでは、今自分が見ているものが、あるひとつのリアリティに縛り付けられたり、そこから解放されたりしうるということである。

 

この考えのもとでは、モーリーン・ファーニスの「あらゆるアニメーション表現は模倣mimesisと抽象abstractionのあいだに位置付けられる」[58]考えによる区分けは通用しないという。[59]

以上の土居の発言をまとめ、本稿での「アニメーション」が何を指すのかを定義したい。「アニメーション」とはフレームの「間」に生起するものであり、その特性のうちに「形而上性」や「二重性」(多義性)を持つ表象である。

 

 

 
第三章 高畑勲監督作品におけるアニメーションの「動き」

 

それでは具体的な作品分析に入っていく。高畑の思想が最もラディカルに現れた『かぐや姫の物語』から三つの場面を見ていこう。

ひとつめは名付けの祝宴会で客の無礼な言動に耐えかねた姫が屋敷を飛び出して山野を駆ける場面である。自室を飛び出した姫は画面の右から左へと渡り廊下を走り抜ける。横からのバストショットが挟まれるも振り乱れた髪によってその表情はうかがえず、次に三連続のフィックスで画面奥へとふすま、とびらを突き破り門の向こうへ走り去っていく姿が示される。再び画面を右から左へ駆け抜ける姫は着物を脱ぎはじめ、望遠的にデフォルメされた月の下洛中の道には十二単だけが色鮮やかに取り残されている。まるで姫ではないかのような凄まじい表情が横と正面のバストショットで連速して素早く提示されると、それまで以上に荒々しい描線で描かれた円と縦線が出現する。それは月と木々であり、洛中の抜けた姫は山野に至ったのだ。背景音楽が消え、姫の足音と息遣いだけが聞こえてくるようになる。すでに背景美術は登場人物と同位相に描かれ、だんだんと荒々しくなってきていた姫の描画はもはや線と色の塊になる。

 この山野のシーンの原画を見てみると、ほぼ一枚の絵としての機能を果たしていない。それは明瞭な何かを描いているとは言えず、線の集合体のように見えるのだ。このとき姫の形態といったような「見かけ上のリアリズム」は一切考慮されていない。ここではフレームの「上」にあらわれるものよりもフレームの「間」にあらわれるものが重視されているのだ。実際に原画同士がつなげられた映像を見ると、不思議と姫が走っているように「思える」。それは半ば読解とも言いかえられるような観客の積極的な「参加」による運動知覚であり、「動き」とはそのように知覚される「現象」なのだ。映像ではたしかに姫が走っているように見えるが、冷静にその疾走を観察すると、人間では到底不可能な「動き」をしている。体は倒れそうなほど前傾し、足が頭より高い位置まで蹴り上げられることすらある。姫の「動き」は想像(創造)的なのだ。ファンタジーなのである。しかしこれは「ファンタジーぎらい」を公言する高畑が指す「ファンタジー」とは違う。一連の逃避が夢であったという叙述でファンタジーがメタ化されているとった話ではなく、本来的に「足し算」の表象であるアニメーションにおいては現実と幻想が逆転しているのだ。アニメーションにおいては想像こそが現実なのである。

 「見かけ上の」本当らしい造形や「動き」は脱ぎ捨てられ、想像的な「動き」を観客が想像的に「読解」する。これによって表面的な部分にではなく、もっと奥深くの、「フレームの向こう側」あるいは「形而上」にある「本質」が感じ取られる。

高畑がなぜスケッチ調の描線にこだわりぬいたのか。いまやその答えは明快だ。トレースされやすいように整理された線ではなく、ランダムな一回性の描線はそれ自体が現実の「多義性」を暗示している。スケッチ調の描線はひとつに収束せずに多義的に発散されている。バザン的な見方を取り入れれば、整理されてひとつの意味に凝り固まった一般的なアニメーションの描画とは異なり、スケッチ調の描画はまさに現実と同じく「あいまい」なのである。[60]やはり観客はそこから積極的に意味を読み取っていかねばならない。イデオロギー的に「リアリズム」を貫いた高畑は、自身のみならず受け手にも「リアリズム」を要求する。観客は「本当らしい嘘」をただ無批判に享受し続けてはならない。「嘘らしい本当」から「本当」を読み取っていかなければならないのだ。

ふたつめは姫がお花見に行く場面である。

 ここで注目したいのは、桜のもとで抑圧されていた「里山」への愛を爆発させるシーンではない。牛車に乗って移動している最中の場面である。客人が帰るか帰らないかのうちに化粧を落としはじめた姫は、女童に「桜の花を見に行くの。そうだわ、お父様とお母様にもお声をおかけして」と告げる。姫のおてんばが目に余った相模が翁に暇を申し出るシーンが挟まれた後、いよいよ花見に向かうシーンとなる。洛中を出る前から姫はこらえきれず簾の端から外をのぞき見る。里山へ向かう牛車のロングショットがいくつか差し込まれたあと、草花のクロースアップに移る。蜂が止まろうとする花、つくし、ぺんぺん草。これらの草花は細かく動いているが、植物が現実にこのような細かな動きをすることはない。しかし想像的なその「動き」はまるで微速度撮影で撮られた映像のように草花の生命力を生き生きと描写している。「見かけ上」は簡易であるこれらの草花も、「動き」によって生を感じさせる。留意したいのは、ここでもまた「動き」が想像的であるということだ。

三つめは姫がしのび参った帝を拒絶する場面である。

 宮仕えの誘いが断られた帝はかえって姫への思いを募らせる。そして自ら姫に会いに行くことを決意し、屋敷を訪れる。垣間見で己の感情を抑えきれなくなった帝は背後から姫に抱きつき、「私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった」とささやく。身をこわばらせる姫を帝が動かそうとすると、あたりが急に月夜のような薄暗さに包まれ、姫がまるで幽霊のように帝の腕から抜け出して消え失せる。非礼を詫びた帝の前に姿を現した姫は再度抱きつこうとする帝から浮遊しているかのような動きで距離をとる。月の世界の人としての姫の力が発言する場面だ。ここでは姫の「動き」がおよそ生物的でないものとなっている。物語レベルにおいて「動き」が月の人としての魔力というファンタジーとして描かれているのと同時に、幽霊のようにスライドする「動かない動き」が「動き」それ自体よりもその奥の、「形而上」的な意味のレベルに置いて姫が心的にかつ物理的に帝から離れたことを提示しているのである。それはヒステリックな反応や動的な「動き」を緻密に描かれるよりもよほど「リアル」に観客は感じ取るだろう。

 

 以上『かぐや姫の物語』の三つの場面から高畑の「リアリズム」がアニメーションの「動き」においてどのようにあらわれているかを見てきた。アニメーションが「動き」の芸術であることを高畑は理解していたに違いない。それゆえ、観客は「動き」に、あるいは多義的な「動き」の向こう側に「リアリティ」を読み取るのである。

これが「見かけ上のリアリズム」を放棄した『ホーホケキョ となりの山田くん』以降に特有のことだと思われる可能性を鑑みて、ひとつの補足をして作品分析を終えよう。

アルプスの少女ハイジ』の第二話におけるチーズの描写だ。多くの子どもたちのお腹を鳴らせたであろう有名なこのシーンは、まるで写実的でない。子どもたちは落胆したはずだ。冷蔵庫にあるチーズをコンロにかけても、全然アニメみたいに溶けないじゃないかと。あのチーズの「動き」はファンタジーなのだ。しかし想像的であるがゆえに、それは想像の世界(アニメーション)においてたしかな現実となって読み取られる。視聴者はあの想像的な「動き」の奥に匂いや、食感や、温度や、音という多義を感じ取っているのだ。あらためて、高畑の作品群に断絶は存在しない。高畑のイデオロギー的「リアリズム」は生涯を一貫しており、作品の表象においてアニメーションの「動き」としてあらわれている。

 

 

 

第四章 まとめ

 

 第一章では高畑を語る「リアリズム」の整理を試み、そこから高畑の「リアリズム」がイデオロギーとアニメーションの「動き」に見て取れると結論づけた。第二章では今日のフィルムスタディーズにおける「アニメーション」や「動き」の言説についてまとめ、そこから高畑的なアニメーションの「動き」を分析する素地とした。第三章では『かぐや姫の物語』および『アルプスの少女ハイジ』のアニメーションの「動き」から高畑の「リアリズム」への再接近を試みた。時間的都合により第三章で取り扱う具体例を、論を構成するのに十分な量記述できたとは言えないが、要所はとらえられているはずである。

 

 

 

 

文末脚注

 

[1] 専攻はジャック・プレヴェール

[2] 高畑自ら「出発点」と述懐する。ホルスというひとりの英雄ではなく、共同体が悪を退けるという政治、思想色の強い作品。アイヌ叙事詩ユーカラ』をもとに書かれた深沢一夫の人形劇脚本『春(チキ)楡(サニ)の上に太陽』が素案となっている。

[3] 祖母の留守中にパンダの親子と擬似家族を形成するミミ子の異類婚姻譚的アニメーション。『となりのトトロ』(東宝、1988)への影響がしばしば取り上げられるが、個人的には今敏の「明るい家族計画」(『妄想代理人』(WOWOW、2004)8話)への影響を思わずにはいられない。また「明るい家族計画」の絵コンテ兼演出兼作画監督を務めたうつのみや理は高瀬康司によって「無意識のアニメート」をするアニメーターとして分類される。後の「Web系」へつながるこの作画系は空間的立体的整合性よりも時間的整合性にのっとって描かれているという。この作画系の考察は高畑のアニメーションの「動き」を重要な関わりをみせるだろう。作画の問題については『アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門』高瀬康司編、フィルムアート社、2019』に詳しい。

[4] 現在まで続くレイアウトシステムの嚆矢でありまた宮崎駿の超人的仕事ぶりによって知られる。アルプスの大自然でのびのびと育っていく少女ハイジの物語。スイスの作家ヨハンナ・スピリの同名小説が原作。全52話。

[5] のどかで美しいプリンスエドワード島にて夢見がちなおてんば娘が可憐な才女へと成長していく様子をキャラクターデザインの変化にまでこだわって作られた傑作。カナダの作家L・M・モンゴメリの同名小説が原作。全50話。

[6] 穀潰しの父親テツを持つ少女チエが大阪の下町でたくましく生き抜いていく様子を絶妙なユーモアとせつなさで描写した作品。はるき悦巳の同名マンガが原作。

[7] 戦争で両親を失った兄妹が大戦末期を二人だけで生き抜こうとする様を淡々ととらえた作品。野坂昭如の同名小説が原作。

[8] 地球にあこがれるという罪を背負った姫が地球に降ろされるという罰を受け、地球の美も醜も味わいながら月へと連れ戻される物語。竹取物語の翻案。

[9] どこにでもいそうな一般的家庭である山田家の日常を描いた作品フルデジタルによって複数人の共同制作においてもドローイングやペインティングのタッチを保持することに挑戦した。いしいひさいちの同名マンガが原作。

[10]王と鳥』Le roi et l’oiseau(日本公開1980)の前身にあたる作品。制作者のグリモー、プレヴェールの意に沿わない形で公開され、1967年に権利を取り戻したグリモーによって公開禁止となった。『王と鳥』よりも短いが、鳥や羊飼いの娘、煙突掃除の少年、下層市民と動物たちが暴君を打ち倒し、王国を瓦解させる大筋は変わっていないようである。

[11] 高畑勲『漫画映画(アニメーション)の志―『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』』岩波書店、2007年、3頁。

[12] 同上、10頁。

[13] 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』徳間書店、1991、10-20頁。高畑の監督作品における音楽の効果については叶精二「コラム 高畑勲と音楽」(『高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの』NHKプロモーション、2019年、102頁)や有吉末充「高畑勲作品の音楽語法」(『ユリイカ 総特集高畑勲の世界―アニメーション監督の軌跡』2018年7月増刊号、226-232頁)が先行する。一方で、高畑は音声に対する意識も鋭かったことから、アニメーションにおけるアフレコ演技とプリレコ演技の差異や音声がもたらす効果、作画との連関についての研究も論じるに値するテーマであるが、本稿では取り上げず、高畑の興味深い指摘を引用するに留める。「要するに、律動の伸縮があり、その度合いが発話者によって大幅に違うだけでなく、顔や体がそれにつれて動くことの多い西洋語と異なり、日本語は均等な音節が連続し、身体的な動きを誘発することの少ない言語なのである。そしてこれこそが、必ずしもプリレコしなくても、事前に計算できるし、それによって設計したものにアフレコで声を当てられる理由である」(高畑勲「日本語を話すとき」『アニメーション、折にふれて』岩波書店、2013年、57頁)。

[14] ジェノヴァの少年マルコが遠くアルゼンチンへ出稼ぎに行った母に会いにいく股旅物の作品。全52話。

[15] ロベルト・ロッセリーニの『ドイツ零年』Germania anno zero(日本公開1948)やヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒Ladri di biciclette(日本公開1948)に代表される、ドキュメンタリー的手法のイタリア映画。

[16] 高畑と「イタリア・ネオレアリズモ」との関連は次の引用を参照。「制作準備のとき、スタッフが頭のなかにおもい描いたイメージは、あの“イタリアネオリ(ママ)アリズモ”だったのですから。名作「自転車泥棒」の父親は、当時のアメリカ映画の提供してくれるヒーロー像と、どれほどかけはなれていたことでしょう」(高畑勲『映画を作りながら考えたこと』徳間書店、1991、88-89頁)。あるいは、池田宏「アニメーション作家・高畑勲さんとの特異な出会いと知られざる教育活動」(『ユリイカ 総特集高畑勲の世界』青土社、2018、7月臨時増刊号、23-26頁)を参照されたい。

[17] 「わたしの場合、「縦の構図」による演出の魅力をルノワール、ワイラー、オースン(ママ)・ウェルズ、溝口健二などから教えられた気がしていました。また、「縦の構図」などを使い、危機をはらんで対立する人物を同一画面に入れ込む「入れ込み」ショットの重要性は、バザンの有名な評論「禁じられたモンタージュ」(『映画とは何か』所収)を読むことで確信できたのです」(高畑勲『漫画映画(アニメーション)の志―『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』』岩波書店、2007年、193頁)。バザンと高畑との関連はここだけでなく、後述の「リアリズム」においても強く感じられる。

[18] 高畑と実写映画の関係性については叶が「漫画映画の枠を超えた心理的演技の追求」(『高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの』NHKプロモーション、2019年、17-22頁)において言及している。

[19] 友達のコグマに会いに行くまでの間に霧の中で数々の神秘的体験をするハリネズミの切り絵アニメーション。声と音とアニメーションの語らいが実に美しい。

[20] オオカミの子ども、雪林の中の一家族、「永遠」と呼ばれるセピア調で描かれる日常などの複数の挿話が脈絡なく提示され続ける、筋らしい筋を持たない作品。

[21] 高畑勲『話の話』徳間書店1984年、130頁。

[22] ひとつの椅子の一生をスケッチ調の線描と温かみのある色彩で描いた作品。

[23] フランスの作家ジャン・ジヨノが書いた広大に荒れ地にたったひとりで植樹した虚構の偉人についての伝記をアニメーション化した作品。そのアニメーション技法が高畑に与えた影響は自他ともに認めるところだが、「自然(厳密には里山的な人工的自然)」を描いていることやイデオロギーの次元での「リアリズム」が実践されていることなど、内容面においても高畑と親和している。「リアリズム」については本文で後述するが、ここで補足しておくならば、実在しない「木を植えた男」を見る(知る)ことによって現実におけるエコロジーが促進されるという効果のなかに、虚構のうちに見いだされる真実(本質)という高畑の「リアリズム」とのつながりが見て取れる。

[24] 田舎に憧れている東京生まれ東京育ちの主人公・タエ子が10歳の頃の自分を回想しながら山形へ向かう物語。高畑作品のエッセンスである「女性」、「時間」、「里山」などが凝縮されている。

[25] 多摩丘陵の開発によってすみかを追われることによった狸たちが「化け学」によって人間に対抗する物語。開発後の多摩丘陵に生まれ育った筆者としてはなんとも痛快な一作。

[26]高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの』NHKプロモーション、2019年、212-213頁。

[27] 理解の補助として「リアリズム」の意味も記述しておく。『三省堂 スーパー大辞林3.0』によると「リアリズム」は①現実主義、②写実主義、③実在論、④実念論の4つに同じものとして分類されている。それぞれを見ていくと、①の現実主義とは「現実を重視する態度」あるいは「理想やたてまえにこだわらず、現実に即応して事を処理しようとする態度」と説明されている。実務主義と言い換えられるだろうか。「リアリスト」の語であればこの意味合いが強い。②の写実主義は「一般に、現実をありのままに模写・再現しようとする芸術上の傾向」と説明されている。③と④は哲学上の区分けであるが、実在論とはプラトン的な意味で絶対的で客観的な「本質reality」が存在するとする立場で、実念論は普遍に関する実在論として説明されている。一般に創作物に対する「リアリズム」といった場合に意識されているのは②写実主義か③、④の「本質」的意味だろう。これらは峻別して語られるべきものであり、「リアリズム」について書くのであれば自分がどの「リアリズム」を志向しているのか明記しなければならないだろう。

[28] レイアウトシステムをはじめ、高畑が日本のアニメーションに遺したものは計り知れないが、京都アニメーションに代表される「見かけ上のリアリズム」を極めた作品群を語るのに「高畑勲のリアリズム」というような表現を安易に持ち出すことには筆者は異を唱えたい。なぜなら晩年において高畑は「見かけ上のリアリズム」を明確に拒否しており、その事実を考慮しない語りは大きな誤解を生み出すからである。なお、高畑のレイアウトシステムと以後の日本のアニメーションの演出の関係については石岡良治宮崎駿On Your Mark』とアニメの系列的読解」(『美学芸術学論集 第13号』神戸大学文学部芸術学研究室、2017、56-108頁)や『高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの』(NHKプロモーション、2019年)を参照せよ。

[29] 「見かけ上のリアリズムを放棄することしかないと考えた末、手はじめとして、『ホーホケキョ となりの山田くん』を作った」(高畑勲『アニメーション、折にふれて』、岩波書店、2013、186頁)。

[30]高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの』NHKプロモーション、2019年、216頁。

[31] 高畑は講演や執筆など「社会貢献」的行為を積極的に行っていた人物でもある。コンテクストはさておき、十二世紀の絵巻物をアニメーションの起源とする高畑の論考が小学校の教科書に掲載されたことは記憶に新しい。高畑を知る人々が語る理性的で啓蒙的で対話(議論)を好む高畑のエピソードは枚挙にいとまがない。このようなことを考えたとき、高畑を取り巻く「リアリズム」あるいは「リアリティ」という語には、作品上の「写実」と「想像」、「本質」と「外観」の他に、「現実主義」としての意味も含まれてくるように思える。福岡県柳川市で環境汚染の進んだ堀割が再生していく様子をとらえた実写ドキュメンタリー『柳川堀割物語』(1987)は、そんな高畑のリアリスト的側面が現れた作品のように思えるのだ。高畑はアニメーションという極めて創造的、想像的表象を追究したが、そのまなざしは常に「現実」を向いている。

[32] バザンと高畑を接続する鎹として、『太陽の王子 ホルスの大冒険』について述べた高畑の文から引用する。

「たとえば第一ショットですが、これは出来事の起こっている現場の真(まっ)只中(ただなか)にカメラをすえたうえで、大ロングから突然のクロースアップ、そしてロングからカメラ前までの縦のうごきを時間的(・・・)空間的(・・・)にひとつながりのワンショットにとりこんであります。そしてその後につづく各ショットも特別なとき以外、アクションをつぎつぎとつないだうえできるかぎりホルスと狼を「入れこみ」でとらえています。一寸(ちょっと)息がつまりそうですが、そこがねらいで、アクションに時間的(・・・)空間的(・・・)連続性(・・・)をもたせて実在感と臨場感を出そうとした結果です。(中略)私もモンタージュ一般を否定するつもりは全然ありませんし、紙にかいたことを忘れさせ、映像のなかに人を「まきこみ」、没入させる手段として考えた場合でも、あとでふれるようにモンタージュは大変有効だと思います。しかし、実在感を与える、信じられる世界を作るという点でいえばやはり実写で有効な方法がアニメーションでも有効なのだと思わざるを得ません。なぜなら、実在感を与えるためには、ただ「まきこむ」だけでは駄目で、くりひろげられる出来事を「まざまざ」とみつめられるというか、シチュエイションまるごととらえられる視点を観客にのこしておかなければならないからです。いいかえれば、観客を現場に「立合わ」せる必要があるのだと思います〔傍点筆者〕」(高畑勲『ホルスの映像表現』徳間書店、1983、26-28頁)。

[33] バザンのウェルズ論を巡る議論の歴史的整理と現在地については川崎佳哉「スクリーンのさらに奥へのまなざし -アンドレ・バザンによるオーソン・ウェルズ論-」『演劇映像学 2013』早稲田大学演劇博物館、2014、27-40頁を参照。また、バザンの理論のイデオロギー的性質については『映画理論講義』(J・オーモン、A・ベルガラ、M・ヴェルネ著、武田潔訳、勁草書房、2000)の三章三節「モンタージュイデオロギー」を参照せよ。

[34] 「見かけ上のリアリズム」を巡る高畑の言説を以下に引用する。

「「今村太平は、〈本当らしい嘘〉の本当らしさを尊重し、佐々木基一は〈嘘らしい本当〉の嘘らしさに脱帽する。わたしは、漫画映画の存在理由は、本当らしさにはなく、嘘らしさにあるとおもうがゆえに、佐々木基一の説に同調する」

これは、花田清輝の「漫画映画の方法」(『新編映画的思考』未来社)からの抜粋だが、論争の文脈から切り離せば、〈本当らしい嘘〉と〈嘘らしい本当〉という観念の対比はいまも刺激的で、同じファンタジーでも、いったいそれがこのどちらに属するのか考えてみるだけでも何かが明らかになってくるのではなかろうか」(高畑勲『アニメーション、折にふれて』岩波書店、2013、140-141頁)。

「私はリアリズムを推進したが、同時に、やや外側から客観的に描き、映像を見ながら、観客が自分で自由に判断する余地を残すような(いわばドキュメンタリー的な)作品作りをしてきた。特に『平成狸合戦ぽんぽこ』では意識的に「アンチ巻き込み型」たることを目指した。さらに、強まるばかりのこの傾向に対抗するには見かけ上のリアリズムを放棄することしかないと考えた末、手はじめとして、『ホーホケキョ となりの山田くん』を作った。」(同上、186頁)。

「線によって人物を捉える絵と、陰影を付けて立体感を与えた絵は、(中略)前者が「ボクはホンモノではないが、その裏側にあるホンモノを想像してくださいね」と慎ましく言うのに対し、後者は、「ほら、ボクはここに、画面上に存在していますよ。すなわちボク自信がホンモノなのですよ」と自己を主張する」(同上、186頁)。

[35] differences 18 .1(2007): 29-52.

[36] 本来であれば「動き」の諸問題を論じる前に「motion」と「movement」、「運動」と「動き」などの語義確認作業を行わなければならないが、それ自体が筆者の時間的能力的限界を大きく超えた問題であるため、本論においては「運動」は物体が移動するような個別の出来事、「動き」のそれに縛られないより包括的な概念という大まかな(あいまいな)区分けで使用されることを断っておく。

[37] 記号と指示内容の関係を、類似性を示すイコン、因果性を示すインデックス、象徴性を示すシンボルの3つに分類したもの。映画においてもこの三分類はすべて確認されるが、写真との双生児的連関からインデックスが特権的に語られてきた歴史的背景がある。

[38] セルゲイ・エイゼンシュテインらのモンタージュ論と比較して語られることが多い。「現実を信じる」立場をとって映画の美学を論じたもの。特にパン・フォーカスに関する言説などにインデックス理論と重なる箇所があることからインデックス性に絡めて読解されることが多かった。詳しくは『映画とは何か』(アンドレ・バザン著、野崎歓、大原宣久、谷本道昭訳、岩波書店、2015、上下巻)を参照せよ。

[39] 『ニューメディアの言語―デジタル時代のアート、デザイン、映画』(堀潤之訳、みすず書房、2013)を参照。筆者未読。

[40] アンドレ・バザン『映画とは何か (上)』野崎歓、大原宣久、谷本道昭訳、岩波書店、2015、18頁。

[41] 「[論文紹介]トム・ガニング「インデックスから離れて―映画と現実感」」(『映画学』26号、映画学研究会、2013、74-81頁)。

[42] 左右にひもなどがついた円盤を回転させ、おもてとうらに描かれた絵や模様が重なって見える様子を楽しむ玩具。

[43] 網膜にとらえた光が消えたあとも像が残る現象のこと。光源を注視したあとに目を閉じると補色が瞼の裏に浮かんでくる現象としてしばしば説明される

[44] 一定条件下で、静止した物の間の動きを脳が補完することで生じる見かけの運動。今日では基本的に残像現象よりも仮現運動によって映像の知覚が説明されることが多い。

[45] 映像の知覚における心理学からの先端的アプローチを紹介しておく。吉村浩一は「アニメーションの絵はなぜ動いて見えるのかー心理学から考える」(『アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門』高瀬康司編、フィルムアート社、2019、30-34頁)において、残像説でも古典的仮現運動のどちらでも映像知覚の原理を説明できていないことを指摘し、オリバー・J・ブラディックの「古典的仮現運動=ロングレンジの仮現運動(LRAM)」とは別により短い視角の移動距離をつなぐ「ショートレンジの仮現運動(SRAM)」が存在し、SRAMは実運動と同じように脳で処理されるという主張を根拠に、映画はSRAMの範囲(15分、1/4程度)に収まっているためになめらかな動きが知覚されるとしたアンダーソン夫妻の仮説を取り上げる。そして吉村は、ブラディックの主張自体が心理学者から多くの反証が寄せられているが、それは「メカニズム」においての話であり、現象上のLRAMとSRAMの違いは実証されているため映画がSRAMによって実現されることは現象レベルにおいて正しいと主張する。そこから吉村はふたつの仮説を導き出す。ときにアニメーションで示される映画よりも大きな視角移動(LRAM)は、「動き」ではなく「変化」として知覚されているのではないか。アニメーションで3コマ打ちより1コマ打ちで「ヌメり」を感じることについて、実写の場合はもととなる実際の動きがあるためコマを落とすと現実との違和感(不気味の谷)に気づくのに対し、アニメーションの場合はもととなる動きがないためコマを落としても違和を感じないのではないか。前者に関してはアニメーションの模倣と抽象の話に合わせて後述する。後者に関しては、ロトスコープについて考えることが一助となるように思われる。ロトスコープは実際の運動を参照しているにも関わらず、往々にして不快な印象を持たれる。それはおそらく、似顔絵において描きこまれているほどに実物との差異が目につき逆に単純であるほど類似点を探してしまうという経験と同じであり、実物であるようでそうでないというフロイト的な「不気味なもの」が呼び起こされるためである。つまり、実写の場合は連続的(アナログ)な状態がもとであるために不連続になる(コマ落とし)ことで不気味さが生じ、アニメーションの場合は何もない状態がもとであるために連続するほど(コマ数の増加)に不気味さが生じるのである。また作画の違和感について片渕須直はインタビュー「自然主義的なアニメーションとそれを語るための言葉たち」(『アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門』高瀬康司編、フィルムアート社、2019、10-29頁)で以下のように解説している。不連続なCDがつながった音楽に聞こえるのはCDが耳の性能を上回っているからであり、同様に「限界フリッカー値」以上の映像は実運動として処理されるのではないか。「限界フリッカー値」以下の3コマ打ちは仮現運動で処理され、それ以上のものは実運動として処理される。この違いが、一方から他方への違和感を生んでいるのではないか。長くなったが、SRAMは運動知覚に対するメッツの主張を裏付けるものであることも忘れてはならない。

[46] 今日的にはライブドローイングと呼ばれる、絵を描くことによるライブパフォーマンス。

[47] 語義語源的な記述では、もっぱらラテン語の「anima(生命)」や「animare(生命を与える)」、もしくは万物霊魂崇拝である「アニミズム(animism)」からはじまる。

[48] 1956年4月25日から5月1日までの期間、第9回カンヌ国際映画祭の会期中に催され、洋の東西を問わず世界各国からアニメーションの作り手たちが集められた。2年後の第2回JICAには実際には連絡の行き違いにより参加できなかったが大藤信郎も招聘され、今日的な「アニメーション芸術」の始祖といえる国際イベントであった。JICAは1960年にアヌシー国際アニメーション映画祭へと姿を変え、また国際アニメーションフィルム協会(L’association international du film d’animetuon, ASIFA)の設立もJICAが関与している。

[49] 『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』フィルムアート社、2016、63-64頁。

[50] 「特定の手法を限定的に指し示すのではない、あらゆるグラフィカルな動画表現をニュートラルに包括するものという意味合い」(同上、64頁)。本稿において「アニメーション」と記述する際には基本的にこの意味合いを指す。

[51] ASIFAのアニメーションを定義する原理が「コマ撮り(image per image, frame by frame)」であった。ASIFAの初代会長のノーマン・マクラレンによるアニメーションがフレームの「上」ではなくフレームの「間」に生起するという提言が有名。マクラレンの発言についてはジョルジュ・シフィアノスの「アニメーションの定義―ノーマン・マクラレンからの手紙」土居伸彰訳(『表象 07』表象文化論学会、2013、68-78頁)を参照せよ。

[52] 少し横暴なレトリックだが、ここで筆者はアニメーションが「動きのモンタージュ」であるとしたい。アニメーションは動きをどうつなげるか、配置するか意味を創出するのだ。しばしばアニメーターは実写映画における役者とたとえられるが、アニメーターは編集であるとたとえた方がより適切なのではないだろうか。そして、実際の動きの総体をとらえつつそれを異化するものとして、ロトスコープは「動きのパン・フォーカス」と言えるのではないか。

[53] 『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』フィルムアート社、2016、75頁。

[54] 同上、99頁。

[55] 高畑の「形而上」についての説明として以下に土居の言葉を引用する。「「アニメーション映画」は現実に抗する。世界は幸あるべきという理想を強調する」(『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』フィルムアート社、2016、138頁)。この記述では高畑が現実主義者なのではなくて理想主義者かのように受け取られるかもしれないがそうではない。高畑は決して実現不可能な夢物語を目指したのではなく、現在と同じ地平にある、持続可能な世界を目指していた。それは本質的(・・・)には現実なのではないだろうか。少なくとも、「現実世界に自分の居場所を見つけられず、複雑な現実の些細な変転の前で戸惑い、立ちすくんだり、他人との接触を嫌い、自分勝手な世界に閉じこもったりしてしまう人々」(高畑勲『映画を作りながら考えたことⅡ』徳間書店、1999、363頁)よりも現実主義的であることは疑いようがない。

[56] 『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』フィルムアート社、2016、183頁。

[57] 同上、185頁。

[58] 同上、180頁。

[59] この「模倣」と「抽象」という区分けをまったく忘れ去っていいわけではないだろう。前述したSRAMとLRAMの話を思い出すと、「運動(movement)」と「変形(metamorphose)」で「動き」を分類することはあらゆる場合において間違っているとは言えないように思える。モーションキャプチャーや物理演算エンジン、究極なまでに写実的な手描きアニメーションなどは「模倣」に分類されるが、そこでの「運動」と、抽象アニメーションや初期のライトニングスケッチ的なアニメーションの「変形」とを分ける見方は、実際の「運動」と再生される「運動」の同一性を語ったメッツ、ガニングの主張とも水が合う。これ以上は高畑的表象について考察する本稿の目的から大きく離れていくため詳述しないが、映像の「動き」をいかに定義づけるかということが極めて重大なファクターであることは間違いない。バザンの発言も示唆的である。「デッサンの変容(メタモルフォーズ)にアニメーションの基礎を置くという考え方がある。その場合アニメーションとは、単なる空間の論理的変化ではなく、時間的な性格を帯びる。(中略)アンドレマルタンには申し訳ないが、『ピカソ』とともに、ついにコマ撮りされた映像を用いることのないアニメーション、デッサンのあり方が示されているのだ」(アンドレ・バザン『映画とは何か』』野崎歓、大原宣久、谷本道昭訳、岩波書店、2015、339-340頁)。

[60]ノルシュテインの『話の話』にみられるエイゼンシュテイン理論の影響について」(『ロシア語ロシア文学研究所 40』日本ロシア文学会、2008、38-45頁)において土居は、『話の話』の「永遠」のエピソードに顕著なノルシュテインの思想はエイゼンシュテインによって説明されるとしている。人間の原初的な、「自他に引かれた境界線を消失させた一体化・未分化の状態」を「感覚的思考」、成長して世界を分節化し理解する状態を「論理的思考」というエイゼンシュテインの理論のうち「感覚的思考」を取り上げ、すべてを認知してしまうような「永遠」のエピソードはこの「感覚的思考」で説明されるという。この「感覚的思考」的表現というのもまた、高畑を読み解く効果的に補助線となりうるだろう。