映画的なものからの開放 アニメーションは芸術か?

今回はアニメーション研究についての雑記です。

 


 

映画は絵画芸術と比べられることもありましたが、やはり本質としては写真に近いものではないかと思います。もちろん写真と絵画の関連はありますが。

僕も勉強途中なのであいまいな直感でしかありませんが、パースの記号論やバルトの写真論を素地とした研究の発展性を見るに、映画は写真との関連を避けて通れない。写真史を考慮しても同様です。

 また、改めると単純な話ですがそもそもの技術として映画は写真と近しい。

 

ではアニメーションに近しいのはなにかというと、絵画であるわけです。

 

 

かつて映画が第七芸術であると宣言されたように、僕はアニメーションを第八芸術と宣言したい。

 

ではアニメーションが真に芸術たりうるためにはどうするべきか。それにはまず、映画的なものからの解放が求められるのではないかと考えます。

現状、明らかにアニメーションは映画に隷属しています。映画の文法に則り、映画祭ではアニメーション部門としてひとくくりのジャンルに押し込められている。アニメは子供のものだという考えはいまだ強固なのです。

 

原理を考えれば、アニメーションが映画にとらわれる必要はありません。

エミール・コールの『ファンタスマゴリ』やノーマン・マクラーレンの『シネカリグラフィ』、フレデリック・バックの『クラック!』らが見せるドローイングの根源的なよろこびを直截表現することがアニメーションが目指す道ではないのでしょうか。

 

たしかにアニメーションにおけるフォトリアリズムを突き詰めることもひとつの表現であります。ただ、写真を加工した背景にロトスコをはめ込んだ作品をアニメーションの究極と言って良いのか。映画の真似事するだけで良いのかという疑問がどうしても僕の中には残ってしまうんです。

 

 

僕は、映画は引き算の芸術でありアニメーションは足し算の芸術であると考えています。CGIの発達でその境界が崩れてきてはいますが、根っこは変わっていません。

映画はカメラ構えた時点で否応にも事物が映し出されます。そこからいかに引いていくかが映画づくりの醍醐味のひとつです。映画は編集によってほぼ必ず不要なショットが生まれてきます。

逆にアニメーションは元は一枚の白い紙でしかありません。そこにどう足していくかがアニメーションづくりなのです。

 

多分に私見が入りますが、優れた映画は静かなものが多い(気がします)。「デザインは引き算だ」とは誰が言った言葉か知りませんが、それ自体猥雑で混沌とした現実を、切り取り削ぎ落としたのが映画です。

アニメーションは正反対を突く。創造性の洪水を起こし、見るもの皆を飲み込むような画を作り出すのがアニメーション的想像力なのではないでしょうか。『ピノキオ』の波、『AKIRA』の鉄雄の膨張。無限に広がる創造性こそアニメーションの原点です。

映画と違って、アニメーションは何でもできるんです。描けば何でも表現できる。それなのになぜ映画の真似、ヒット作品の真似ばかりするのでしょう。(もちろんマーケットが絡んでることぐらいは承知してます

 


 

アニメーションが映画に隷属するのにはひとつ大きな要因があると思います。シネフィルに対するアニメファンの見るに耐えない教養のなさ。その延長として、アニメーションが研究分野として確立されなかったことです。

アニメーションを第八芸術と宣言することは、アニメーションを学問として確立することも意味します。これは決して他人事ではなく、アニメファンひとりひとりの意識から始まることだと思うのです。

 

批評性のないアニメーション批評の問題点について : Gomistation☆

 先日、上記事を読みました。僕は彼に賛同します。芸術を芸術たらしめるのは芸術家ではありません。芸術家だけではなされないと言った方が適切でしょうか。常にそれを見つめる存在が必要なのです。

 

好きなものを好きと言うことが賞賛される時代に、嫌いなものを嫌いと言うことを僕は賞賛したい。創造性は正の感情だけでなく負の感情からも生まれうるのです。

僕は怒っている人見るのが好きです。何かに怒りを抱いている人。こんな作品のどこがいいんだと憤る観客や、自身のスランプや共同制作者に不満抱くクリエイター(宮崎駿が怒ってる動画とかよく見ます)。彼らの怒りはアニメーションへの誠実さの裏返しだから。

 

今回僕の話は絶対的なものではないです。ただ、アニメファン個々人が、ただ無思考にエサを貪り食うのではなくアニメーションのあり方を少しでも考えていけば、ちょっとずつでも良い方向に向かっていくのではないかと思うんです。

大学においてのアニメーションの研究は無残と言っていい状況です。映画が本当に羨ましい。あれほどに体系化され、研究者にも恵まれている環境が素直に羨ましいです。

アニメーションにはまともな文献すらありません。学者も在野レベルが個人プレイを行うだけ。

 

山本寛という監督がいます。過激な発言で方々から非難を浴びていますが、エッセンスは間違っていないと思います。いわゆるオタクはアニメを壊す。僕もそう思います。山本寛を全面支持するわけではないということを付言しておきますが。

 

そして同時にこうも思うんです。じゃあオタクがアニメを変えようじゃないか、と。