ウマ娘にみる、奴隷産業としての日本アニメ

今回は2018年春クールで放送された『ウマ娘 プリティーダービー』を中心に書いていこうと思います。

アニメは第一話のみ視聴しています。全部見てから記事を書こうかとも思ったんですが、主旨は『ウマ娘』ではなく日本アニメ産業の話なので未視聴のままです。

 

 

◯実在の競走馬を題材にしたことの罪

僕は競馬ファンではないので競走馬について詳しくないのですが、『ウマ娘』以外の史実を題材としたコンテンツ全般に言えることとして、20世紀以後の史実を改変することは悪手です。19世紀末にカメラが登場して歴史は史実として、つまり客観的に疑いようのない事実として記録されるようになりました。僕は歴史学に関しては無学なので、存命の証言者がいるという点も考慮して大雑把にだいたいカメラが生まれた20世紀前と後で区切りましたが、要は歴史の虚構性が大きいか小さいかという問題です。

つい先日も芥川賞候補作の『美しい顔』盗作問題でいろいろと騒ぎがありましたが、たとえば東日本大震災、そして競馬のレースなどは客観的事実として記録されている。そしてそれらをひとりひとり代替不可能な記憶として経験している人達がいる。そういったことを差し置いて安易に事実を捻じ曲げることは歴史的事実と体験者たちに対する侮辱です。やるなら枠だけ借りて中はオリジナルで作ればいいんです。

ウマ娘』でいうとサイレンススズカの話が代表として挙げられると思います。

僕が勝手に「信長もの」と思っているジャンルがあるんですけど(笑)。織田信長のところにタイムスリップする系の作品は、信長協奏曲だったり、信長のシェフだったり、かなりたくさんあります。
 信長が最後、本能寺で死ぬことはだいたい皆知っているじゃないですか。でも、その展開を知っているから、この先は「信長が死ななかったという話」になるのか「誰かと入れ替わった」などのIfの展開があるのか、案外、そのまま本能寺で死んでしまうのか……いろいろ考えてしまいます。

 結末を先に知っているから、その過程が気になるのは過去改変ループ物の基本です。ただ、期待される物語の結末は大体、救いのお話です。
 ウマ娘はifの物語ですから、どうせなら救いのある物語にしたいとは最初から思っていました。競馬ファンの方や、馬主さん達に見て欲しいのは、彼女たちの生き生きした姿です。ある意味、永遠に近い命を持てるのが2次元の強みでもありますから。

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ウマ娘』のアニメのシリーズ構成をやっている石原章弘氏のインタビューからの引用ですが、なぜ戦国武将や三国志はあれほどifの物語が作られるかというと、歴史が虚構性を多くはらんでいるからです(そもそも三国志演義が元になる場合も多いですし)。信長は本能寺で死んだというのが現在の通説ですが、それはなんらかの史料発掘によって覆されるかもしれない。そして21世紀を生きる我々の中に信長の為人を知る人間は万に一人も存在していない。だからこそifの物語が受け入れられ、作り続けられているのです。石原氏はそこの違いがわかっていません。中にはたかが競馬だし、という風に思う人がいるかもしれませんが、たとえば史実をフィクション作品に置き換えて考えてみると、「ある漫画がアニメ化で改変された」となれば一定の批判が生まれることは避けられないことを納得してもらえるでしょうか。フィクション作品に関してはリメイクという手法もありますし単純に改変を悪と断じることはできませんが、史実に関してはできるだけ避けることが望ましいのは自明です。

しかも、史実に関するリスペクトがあればまだ弁明の余地もあるかもしれませんが、『ウマ娘』に関してはそれがありません。そもそも性別を女の子に統一するという点から商業魂むき出しのコンテンツであることが丸わかりですし。モチーフとなった馬を想起させる意匠などを挙げて、「馬へのリスペクトもあってすごい! ウマ娘良い作品!」と言っている人がいますが、その程度の工夫は最低限のノルマです。同人誌やファンアートでキャラクターの目や髪の色、性別を変えますか? ありえないです。モチーフがある以上それを考慮したデザインにすることは当然のマナーであり、それをリスペクトの基準にすることはありえません。だからこそ安直に性別変更をしてしまうような作品にリスペクトがあるとは思えません。

 

もし仮にどうしても20世紀以降の史実を題材にifを描きたいのなら、ポリティカルな要素をもたせるのがひとつの方法だと思います。最近だと、厳密には歴史改変モノとは別かもしれませんが『帰ってきたヒトラー』がありましたね。ここ100年の歴史は非常にデリケートです。それを題材にした作品を作る意味を考えたとき、ごく私的な事情やなんらかの言説を持たず、ただ商業的理由のみで行われる改変は僕は許せません。

 

◯馬の擬人化

なぜ馬を擬人化したのでしょうか。競馬に詳しくないと書きましたが、競走馬がどれほど過酷なレースを繰り広げているのかなんていうのはサイレンススズカがレース中に粉砕骨折して引退したことを聞けば嫌でも想像できます。競争馬は肉体を限界まで追い詰めてレースに臨んでいるのです。ジョッキーの苦労もあります。厳しい体重制限に加え、視力の良さや訓練校での勉強も必要です。そして馬主や調教師の存在、種馬と出産、血統など競馬には競馬の世界があります。それを馬の擬人化で全て消し去っている。前項のリスペクトに通じますが、これでリスペクトがあるといえるでしょうか。

そしてこれは個人的にとても不満なところなのですが、走るアニメーションの質が低い。PAだからって無思考に良作画と言ってる人は本当に勘弁してほしいです。アニメーションである以上、動きの質は作品の質に直結します。馬は走る姿が非常に美しい生き物です。同じPAだとSHIROBAKOで馬の作画の話が少しありましたね。それをわざわざ擬人化する、となれば走る作画に力をいれることはアニメーションとしての義務です。もちろん人間の走る姿も美しいです。僕は短距離が好きですね。ボルトもガトリンもみんな走る姿が違う。それをアニメーションで表現しなくて何を表現するのか。耳や尻尾を動かして可愛いなんて低レベルなことで喜んでる場合じゃないです。

僕は「日本のアニメは声優産業の奴隷になった」と思っています。最近は主語を大きくすると怒られるみたいですが、もっと言うとメディアミックスを前提とした漫画やソーシャルゲームライトノベルやなろう小説も声優産業の奴隷と言っていいと思います。ここで言う声優産業は資本主義とほぼ同義です。『ウマ娘』の擬人化は、男性向けの萌え狙いもありますが、多くの声優を起用したいという資本主義が露骨に現れている部分だと思います。ウイニングライブなんか顕著ですね。『ウマ娘』はアニメ以前にCDが出ています。できるだけ多くの声優を出してライブやイベントで資金回収する。ソシャゲ版がリリースされればウマ娘の数も増えてもっと多くの声優が参加するでしょう。アイマス-ラブライブが生み出したアイドルアニメという売り方でアニメは完全に声優産業の奴隷になりました。新人声優、人気声優、可愛い声優、かっこいい声優を出演させるためだけにひたすら量産され続ける、中身もへったくれもなしの二番煎じ三番煎じのものばかりです。ソシャゲ人気も後押ししています。キャラを増やして声優をつけて、イベントや生放送で求心力を保つ、どこも似たようなことばかりやっています。僕が個人的に大嫌いな『文豪ストレイドッグス』という中学二年生の出来の悪い創作みたいな作品なんかもそうですね。女性向けコンテンツも男性向けコンテンツも、いまはほとんどが声優を中心に回っています。『ウマ娘』の擬人化はアニメが声優産業の奴隷になったことの最たる証左です。

 

 

 

ウマ娘』の悪いところばかり書いてきましたが、似たよう例は他にもたくさんあります。というか最近はほぼそういう作品しかありません。売れれば良いと考えるお偉いさんと、好きな声優が出てるかどうかで判断する視聴者。

 いわゆるアイドル声優という人たちも需要があって働いているので、一概に批判するべきとは思いませんが、そういう人たちが主な演者になってしまうこと、視聴者がそういった人たちを上手い上手いと褒める現状には危機感を覚えます。

プロフェッショナルの定義をその職業で食べていく人たちとしたとき、ナレーションやアフレコといった声の仕事で稼いでいるプロの“声優”はごく一部の人達です。アイドル声優はイベントやライブも仕事のひとつではあるので“アイドル声優”として彼らはプロであるかもしれませんが、それは“声優”よりも“タレント”に近いものです。日本だとテレビの普及によって、俳優も本来の役者的意味合いからタレント的意味合いに近くなっていますが、同じ現象が声優でも起きています。声の役者から総合タレントになっていってるのです。

この間、義太夫竹本住大夫のドキュメンタリー*1を見ました。そこで住大夫が弟子に厳しく稽古をつけるシーンがあったのですが、その激しさに度肝を抜かれました。叱責の嵐です。過保護ブームの現代だったら確実にパワハラだと言われてるでしょう(映像自体は2001年のものです)。その後住大夫自身が当時既に引退していた人間国宝の竹本越路大夫に稽古をつけてもらうシーンがありましたが、素人でもわかるほど越路大夫が優れていました。住大夫は当時文楽界でトップの義太夫だったのにもかかわらずです。その越路大夫は義太夫の芸について「芸を磨くのに一生では足りなかった。もう一生欲しかった」と語ったそうです。今のアイドル声優の中でこの言葉を言える人がいるでしょうか。義太夫だけではありません。先日逝去された歌丸師匠の落語界もそうです。芸の世界はそういうものです。歌ったり踊ったり、TV番組やネット生放送でコメディアンの真似事なんかやっても絶対に極められないんです。視聴者は、そんな人達の演技を聞いて「声優すごいなぁ」「私もああいう声優になりたいな」なんて思ってられないんです。そう痛感させられました。

 

いまのアニメ産業、声優産業はデフレ期の牛丼チェーンやファストフード店を見ているみたいです。質が悪くて安く大量に売りさばかれる声優やアニメ、そして劣悪な環境で働かされているアニメーターたち。

ひどく書きましたが、僕もアニメファンですし声優ファンです。だからこそ、この流れが変わることを切に願ってやみません。

 

*1:NHKスペシャルの『人間国宝ふたり~文楽・終わりなき芸の道~』