『詩季織々』感想 コミックスウェーブ作品のリアリズム
日中共同製作『詩季織々』の感想です。話を延展してコミックスウェーブ作品(新海誠作品)についても。ネタバレ注意です。
まず、どこに向けて作られた作品なのかが一切伝わってこない。中国向けなのか、日本向けなのか。題材に対しアニメーションがあまりにも日本的過ぎるのが良くなかったです。
海外で日本のアニメーションにインスピレーションを受けた作品が増えている、とは言ってもまんま日本のトレースではありません。今話題の『スパイダーバース』だって日本の影響を大きく受けているでしょうが、ベースはアメリカ的な3DCGです。まるパクリをしたって劣化するだけで良い作品は生まれません。
本作はコミックスウェーブ制作なので厳密に中国のアニメーションとは言えませんが、むしろその中途半端さがマイナスになっています
「陽だまりの朝食」
一番ひどいです。新海的郷愁*1を百倍希釈したような薄っぺらさ。作画と美術の違和が没入を阻害し、甘ったるいポエムに辟易します。
美術がロケハンをしていないのか、それとも日本人コンテが悪影響したのか。中国らしさというものが何も感じられません
米粉をビーフンと訳すのにも疑問。日本で食されてるビーフンと、スープがありラーメンに近い米粉とでは全く違う料理です。っていうかカップ麺とかインスタント麺のこと米粉って言いますし。ラーメンと訳す方が適切でしょう。
祖母危篤の知らせを聞いて飛び帰り、到着した瞬間に死ぬというのがご都合主義過ぎて言葉を失います。祖母が物語の機能に堕している。
「小さなファッションショー」
コンテの未熟さが目立ちます。例えば、パーティで主人公がワインをあおるシーンで、主人公が俄かに画面外へ手を伸ばし、盆にのせられたグラスを取るクロースアップが挿入され、元のレイアウトで一気に飲み干す3ショットがありますが、ウェイターの存在が中間ショットで唐突に示されるため、キャラクターの認知世界と観客の認知世界に齟齬が生じ、不自然さが出てしまっています。齟齬を顕示し、観客の視線とキャラクターの視線の不一致を狙った実験作なら納得の演出ですが、エンタメ色の濃い今作ではコンテ考が足りないと言わざるを得ません。
「上海恋」
一番ましでした。前後のポエムに目を瞑れば唯一まともに見られます。
コンテ脚本共に監督のリ・ハオリンが担当しており、中国らしい薄汚さや貧乏くささが感じられたのが良かったです。カセットテープという小道具もユニークで心をくすぐります。
作中、ぼかしの撮影効果がよく使われていたので、それについての話を少し。
新文芸坐『ロング・ウェイ・ノース』トークショー
— いきれ (@ikire__) March 6, 2019
井上「寄ってもディティールアップしない。切り紙や版画のような、色面のみで構成される。絵、構図、レイアウトへの自信を感じた。
今の日本は絵に自信がないのか、撮影効果や特殊効果(透過光入射光、ぼかし)をよく使う。」
井上俊之さんがこういう話をされていて、似たような記事(映画的なものからの開放 アニメーションは芸術か? - 夢の島思念公園 )も書いたんですが、近年の日本のアニメーションは映画的表現に引っ張られすぎているんじゃないのか。
アニメ業界の低賃金問題について一般の方に説明します
— アニメ業界問題解説マン (@karaagebo3) March 7, 2019
新人さんは1枚150〜250円で絵を買い取って貰って収益を得るというのが普通です
問題はこの2枚の絵の値段が昔からほぼ変わらなくて、1枚にかける労力だけが極大してるので結果的に低賃金になってしまいます
昔は稼げる職業だったらしいです pic.twitter.com/5dC6cIlNaK
こういう話もありました。全部が全部フォトリアリズムに向かう必要性はないだろうと思います。
「小さなファッションショー」ではオーディションのシーンでは選考委員の「格」がぼかしによって効果的に表現されていましたが、それ以外の顔のクロースアップでのぼかし等は必要性を感じられません。しばしば写真初心者が「ぼかせばいいってもんじゃない」というアドバイスを先人からもらうことがありますが、似たような話ではないでしょうか。
上の例程度ならかわいいものですが、フォトリアリズム志向が画に弊害を生み出している場合もあります。三作に共通することですが、背景のリアルさに対して脚本のご都合性やアニメーションのローテクスチャーがミスマッチしている。写真加工等によって描かれた写実的な背景美術に対して、アニメーションのテクスチャが粗いので、アニメーションを「乗っけた」ような違和感が生まれてしまっているのです。
これはコミックスウェーブ作品の特徴と言ってもいいですね。『言の葉の庭』では、植物の反射光まで計算してキャラクターに彩色をするといった工夫によってテクスチャの質感をアップさせていましたが、『詩季織々』ではそのような工夫も感じられず、違和感が取り残されています。『君の名は』もこの点では『言の葉の庭』に大きく劣っていると思います。
ただ、フォトリアリズムを超えた表現というのも考える必要があるでしょう。『秒速5センチメートル』の「コスモナウト」や『君の名は』では、デジタル写真的な自然美、風景美というのが全面に押し出されています。それはもはやリアルではなくファンタジーに到達し、一種の幻想空間を作り出しているのです。自然ドキュメンタリー番組を見るときのような神的な感動がそこにはあります。
ここにフォトリアリズム方面でのアニメーションが目指す道というのが見えてくるのではないでしょうか。*2
監督が中国人なのにスタッフが日本人だから画にも物語にもまとまりがないというのが総じて目立つ欠点です。まだ見ていないので出来の方はわかりませんが、『NEMO/ニモ』も製作で揉めに揉めたそうですし、共同製作で成功した例があるのか興味がありますね。