『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』『みんなの物語』感想(後編)

『みんなの物語』感想です。ネタバレ注意。前記事はこちら。

 

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実に秀逸なタイトルだと思います。『キミにきめた!』はサトシが主人公で、彼が普通の男の子であるということが再提示された物語でした。対して『みんなの物語』は群像劇で、主人公らはどこにでもいそうな、何かが足りない人たち。『キミにきめた!』ではサトシも負の感情を抱く屈折した人間であることが示されましたが、一転して本作では往年のスーパーヒーローのような快刀乱麻ぶりです。『キミにきめた!』でサトシの話は描いたので、一旦リセットし、視点を「みんな」に向けるという趣向というわけです。

 

前作ではポケモンとの出会い、そして友情の芽生えが描かれましたが、それに対して本作ではフウラシティというポケモンと共存した世界に舞台が移っています。前作は広大な自然やテンセイ山が主でしたが(ポケモンセンターすら森のなかにある!)、本作は打って変わって都市がメインなのも興味深いです。シティが中心ではありつつもその後ろにはゼラオラの住む森がある。痺れ爆弾の危機は森から都市へ流れ、そして森から都市へ向かって解決する。ポケモンパワーという標語がここにひとつ表れています。*1

 

『みんなの物語』においてはポケモンパワーという言葉が重要な役割を締めてきます。誰しも何かが欠如している。そんな「みんな」である主人公たちが一歩踏み出すことができたのは他でもないポケモンたちの力でした。前作で一度挫折したサトシが、理想的なトレーナーとしてリサに「ポケモンと一緒ならなんだってできる」と告げるのは実に感動的です。(ちょっとうろ覚えなので発言の細部が違うかもしれません

主人公たち「みんな」が口にする「ポケモンパワー」というのが制作陣から僕たち「みんな」へのメッセージになっています。

終盤はそんな「ポケモンパワー」を合言葉に事件を解決していくのですが、一つ不満点があるのはゼラオラとの関係。

 

人間不信に陥ったゼラオラ*2に対してサトシたちは「人間を信じてくれ」という言葉を掛け、最終的には和解します。そのきっかけはサトシが身を挺してポケモンを守る姿を見たからですが、本来ならばその役目は「みんな」が負うべきであった。これは「みんな」の物語ですし、なによりサトシとポケモンとの関係は前作で十二分に示されているので、フォーカスすべきは「みんな」とポケモンの関係性であるべきです。

そのきっかけの後、ラルゴが塔(?)の下敷きになりそうになるのをゼラオラが助けますが、それも逆で、ゼラオラが何か危険にさらされるのを「みんな」が助けるのが理想的な姿ではなかったでしょうか。人間がポケモンパワーを唱えるようにポケモンたちもヒューマンパワーを信じる。その相互扶助の共存関係こそ本作のテーマであったはずです。ゼラオラが助けてしまっては、ポケモンが人間をサポートする構図から抜け出ることができず、首藤さんの対等な存在という信念も揺らいでしまうことになる。

 

しかしゼラオラの件を除けば、『キミにきめた!』の演出、コンテはイマイチでしたが、『みんなの物語』は表現面でもそれなりに健闘していたと感じます。どちらもアクションの作画はかっこよかったです。

 


 

AG以降のアニメと映画はたまに見る程度でほぼわからないのですが、多くのコンテンツが長期化とマンネリの問題に直面することを考えればポケモンもその壁に悩まされていたことは想像できます。『キミにきめた!』『みんなの物語』の二作は、確かにそれを打ち破ったのではないでしょうか。

 

そして、今年の劇場版は『ミュウツーの逆襲』のリメイクに決定しました。脚本は首藤さんのままらしく、どのような内容になるかは見当も付きませんが、再スタートを切って一回り成長したアニメポケモンシリーズが今後どのような展開になるか、とても楽しみです。

 

※追記 2019/03/19

湯山邦彦&矢嶋哲生監督インタビュー!ポケモン映画「みんなの物語」は「新しいポケモン映画の一歩に!」 | 超!アニメディア

 

 

 

*1:ポケモン=自然、人間=都市という単純な二項対立。

*2:ゼラオラを捕獲しようとしたハンターが捕まらずに逃げてしまうのは象徴的です。前作同様、いままでの勧善懲悪路線とは一線を画した表現でもあり、人間がいまだポケモンに対して支配的であることを示唆しているようでもあります。