『スマホを落としただけなのに』短評
久しぶりの投稿です。年末に見た『スマホを落としただけなのに』の短い感想を。ネタバレ注意です。
非常に偏見に満ち満ちているのですが僕は邦画があまり好きではなく、それというのもだいたいがテレビドラマの延長にある安っぽいラブロマンスで飽き飽きしてしまうからで。しかし本作は恋愛成分は控えめでむしろサイコスリラー、ホラーサスペンスのようなストーリーですんなり見ることができました。
むしろと書きましたが、原作既読者や中田秀夫監督のことを既知の方であればただの恋愛映画ではないだろうなということは想像がついたでしょう。
実を言うと中田監督の『リング』は以前見たはずなんですがあまり記憶になく、他作も見たことがないので実質中田監督の作品は初見という形でした。
結論から言うとかなり面白かったです。もともとサスペンス、ミステリーが好きなのもありますが、うっすらと残った『リング』の印象に劣らぬ緊張感がフィルム全体に張り詰めていて終始ワクワクしながら見ることができました。
前半(というより大半?)のキモはスマホを利用した連続殺人犯の正体ですが、犯人の顔を隠すことで容疑者たちの表情を嫌が応にも注視させ自然と登場人物の“顔”を意識するようになる。もちろん処刑場での成田凌の顔のアップと以降の豹変ぶりによってその緊張感は最高潮に達し、一旦のクライマックスは迎えます。が、その後北川景子が実は自殺した親友になりすました人間であったことが告白されるシークェンスで、再び“顔”のクロース・アップが用いられるところが素晴らしかったです。
成田凌始め程度に差はあれど登場人物全員が顔(表情)と人格(内面)に齟齬を持っています。それは私たち観客も例外ではないわけですが、その顔と人格のズレが持つ恐怖を存分に示した直後にさらにやむを得ぬ事情で顔と人格*1を倒錯せざるを得なかった人間を描くことで物語を単純なスリラーや悲劇に終わらせない工夫が見られました。
やや強引に例えるなら、ベン図の積と差のような、顔と人格の重なる部分と重ならない部分を核に据えた物語であったように思います。スマホというものがミステリーの道具に収まらず、所有者の性格、趣味、嗜好を雄弁に語る、いわば人格の物的象徴であるところも面白かったです。北川景子と筧美和子が入れ替わる際もスマホを取り替えるという象徴的な行為がありました。
上映前のくだらない恋愛映画の予告を見てすっかり油断していたので、思わぬ展開に驚きました。思い込みはいけないですね。食わず嫌いをせずに邦画もちゃんと見ようと思います。