『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』『みんなの物語』感想(前編)

劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』と『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』の感想と、その他ポケモンの映画についてあれこれ書いていきます。ネタバレあるので注意です。

 

ポケットモンスターは2016年にゲームシリーズが20周年、続いて17年にはTVシリーズ、18年には劇場版が20周年を迎えることとなりました。劇場版もそうですが、ゲーム、TVアニメも大きく舵を切ろうとしているのが近年よくわかります。
本題に入る前に、『キミにきめた!』がTVアニメ1話をリメイクすることはきっと20年後のポケットモンスターにとってとても大切な意味を持つんじゃないかな、ということだけ言っておこうと思います。

 


 

まず『キミにきめた!』の感想から。

『キミにきめた!』では劇場版ポケモンの3つタブーに触れています。

・伝説のポケモン ホウオウ

・言葉を話すピカチュウ

ポケモンの世界と現実の世界(メタ)

僕の記憶が正しければ、ホウオウは劇場版で触れられることはなかった(はず)。また、特権的に人語を発することのできるポケモンはいますが(テレパシー含む)、基本的にポケモンは言葉を話せず、ピカチュウにおいてはポケモンの総代表でありかつサトシとの言葉を超えた絆というあまりにも重大な責が課されているため言葉を話すという行為は言語道断です。この二つを破ったということですら非常に意義ある挑戦だったと思いますが、個人的に僕が最も禁忌とされてきたであろうと考えるのがメタ的な視点です。

 

ポケモンというコンテンツの目指す究極とは私たちの現実である地球世界がポケモン世界になること、同一化することであり、そのためにはポケモンという物語世界を現実に匹敵するレベルで強固に保ち続けなければなりませんでした。ポケモンゲームシリーズは、2016年についにポケモンGOをロンチし、いよいよもって現実生活の中にポケモンたちが入り込むというところまで理想を実現に近づけたわけです。

それに対して劇場版が示した答えは、サトシを現実の世界に持ってくるという逆のアプローチ。AR・VR技術がこのまま発展すればアニメーションを現実世界に投影するというような方法も可能になるかもしれませんが、そもそも原則としてアニメーションはゲームと異なり双方向性を有していません。ゲームを介すれば現実世界にポケモン世界を取り込むことも可能ですがアニメーションではそれが難しい。よって裏の攻法、ポケモン世界に現実世界を取り込むという選択をしたと考えられます。

 

劇場版で3つのタブーを犯すという離れ業を行ってしまう英断もさることながら、ここでもう一つ重要な要素があります。それは、サトシの心が虹を失ったということ。
『みんなの物語』との対比になりますが、本作は明らかに「サトシの物語」です。サトシという少年を今一度見つめ直す。いまやポケモンコンテンツにおいて絶対的存在となった彼を、20周年の節目において捉え直すという試みが『キミにきめた!』の大きなテーマになっています。これまでの劇場版においては、サトシは常に正義であり善であり良心でした。サトシはプラスそのもので、マイナスはいつもサトシに対峙するものとして外在していた。そのサトシをどう捉え直したのか。それはサトシの中にマイナスを取り込む、サトシが絶対的ヒーローではなくみんなと同じ男の子なんだ、ということです。

クロスに敗北したサトシは、「ピカチュウなら勝てたんだ」「初めてのポケモンゼニガメフシギダネだったらよかったのに」と口にします。この言葉は、正義の体現者でありほぼ神に近い存在として描かれてきたサトシであれば絶対口にしない言葉であり、口にしてはいけない言葉です。そこにサトシが触れてしまう。子供たちの永遠のあこがれであったサトシが実はみんなと変わらないひとりの男の子だったんだ、ということを示したのです。


ひとりの男の子に戻ったサトシは、現実世界の学校で旅に出たいと願います。自分の足で世界を見たい。コイツと一緒ならどこにだって行ける。これがポケモンが言い続けてきた「冒険」であり、母の「男の子はいつか旅に出るものなのよ」という言葉に繋がってくるのです。そうして、旅を夢見る私たちポケモン少年代表としてのサトシは現実世界から抜け出し、「ゆめと ぼうけんと! ポケット モンスターの せかいへ! レッツ ゴー!」するわけです。

 

マーシャドーの悪夢からサトシが抜け出す時、サトシは僕たちで、僕たちはサトシでした。僕たちがゲームボーイの電源を入れた時のように、サトシはポケモンの世界に旅立っていった。間違いなく、あの瞬間にポケモンの歴史が動いたと僕は思います。

 

それ踏まえると、サトシという男の子の信念、強さ、夢とは何かという問いに対する『キミにきめた!』の答えが、アニメポケモンがずっとコンセプトにしてきた「友達になること」であることの意味が輝いてきます。

『キミにきめた!』のクレジットに一部脚本という形で首藤剛志さんが載っていました。

新作ポケモン映画で17年ぶりにクレジットされた首藤剛志さんとは? | FILMAGA(フィルマガ)

上のリンク記事を是非読んで頂きたいですが、簡単に説明すると、初期TVシリーズの脚本家である首藤さんは常にサトシとピカチュウ(ポケモン)が対等な友達であることを重視しており、それゆえにピカチュウモンスターボールという一種の首輪に収まることを良しとせず、また『ミュウツーの逆襲』では本来ポケモンに命令し戦わせる立場(主従関係)であるトレーナーのサトシがポケモンたちの戦いを止めたという話です。

首藤さんは2010年に亡くなられており、『キミにきめた!』の制作に直接関わったわけではありませんが、一部脚本という形でクレジットされることになりました。

 

エスの人類愛などではなく、僕たちと対等な存在としてのサトシがあらためてポケモンとの友情を確認する。そしてその返答としてピカチュウが自ら「ずっと一緒にいたいから」と伝え、僕らとポケモンが同じ立場同じ気持ちであることが示されたのです。

個人的にはあの後無理にモンスターボールに入れず、一緒に立ち向かってほしかったなぁという気持ちはあります。サトシの仮死演出もあまり良いとは言えませんでしたし。

 

『キミにきめた!』は以上です。

次、『みんなの物語』の感想に移りたいのですが、長くなったので後編に分けます。二作は関係が深いのでこちらを読んだ方はぜひ後編も。

 

ikire-b.hatenablog.com


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