無知の利
僕らのリアルはどこにあるのか。
いまここにあることと、かつてそこにいたこと。
情報にリアルはない。
何度言われても足りないくらい、情報化が進んでいます。
僕らの現実は、目の前の夜ごはんではなく、友達の食べたディナーの画像です。
無知の知という言葉があります。ラプラスの悪魔は存在しません。
人は無知でありたくないと望み、文明を発展させてきました。結果として、いまや望まずとも情報が飛び込んでくる時代です。
全知とは幸せなことなのでしょうか。
争いは情報から生まれます。
誰々がお前を罵倒していた。某国が兵器の開発をしている。何処其処に貴重な資源が眠っている。
これは過去も変わりません。
謀反を企てる家臣がおります。異教徒が紛れ込んでおります。あの村には備蓄米が山ほどあるらしい。
動物たちも同じです。彼らには縄張りという習性がありますが、それを侵犯されたという情報があってはじめて攻撃に転じます。
裏を返すと、何も知らなければ何も起きないのです。
SNSでは絶えることなく怒りや憎悪が飛び交っています。
しかし、それらもみな、知らなければ生まれなかったものです。
改めて、知ることとは幸せなことなのでしょうか。
僕らが手にする情報は、必要不可欠なものなのでしょうか。
衣食住が足り、三大欲求が満たされれば、人は幸福を感じます。ずっとそうやって生きてきたから。
戻れるならば、ホモ・サピエンスが誕生する以前に戻りたい。
でもそれは叶いません。叶わないどころか、それとは正反対の道を、情報の海原を進み続けることしかできないのです。
生きていくことが生きることです。
はたして僕たちは生きているのでしょうか。